【1991年 大河ドラマ】太平記part.56
レス数が950を超えています。1000を超えると書き込みができなくなります。
・現在BSプレミアム毎週日曜6時より再放送中
https://www.nhk.jp/p/ts/DNY5MGP1V4/
・ここは大河ドラマのスレッドです
歴史談議はほどほどに致しましょう
・次スレは>>980を踏んだものが立てること
前スレ
【1991年 大河ドラマ】太平記part.55
https://nhk2.5ch.net/test/read.cgi/nhkdrama/1612022870/ 義時なんて将軍側近の比企討ってすぐ頼家を実朝にすげ替えてたからな
しかも頼家死んだとか嘘ついてさw
直義はやっぱ優しすぎるわお坊ちゃん気質なんかね
武士なんて強いものに従う生き物だから強さ見せんとあかんよ >>882
判官と言えば義経
判官殿と言えば導誉なり 室町幕府のグダグダ無能ぶりを見ると
鎌倉幕府を引き継いだ三条殿体制の方が
実はまともな政治体制だったりして 理想としては良かったんだろうけど現実的には破綻してるんだから駄目なんだろう 当時の常盤貴子すげー美人なのになぜ天地人まで大河出演がなかったのか
って思ったけど民放ドラマで忙しすぎたのかもね 90年代人気絶頂だったが、ぶっちゃけ宮沢りえ(どこぞの白拍子)より常盤貴子(侍女)の方が好みだった
多くの若者(学生や社会人)は、常盤貴子のような人を彼女にしたいと思っていたはず >>886
この後悪魔のkiss、大殿との共演は数年後のタブロイド。 悪魔のkissで丸出しにしてたな
その後大ブレイクしたからか再放送もソフト化もされていないという
>>884
よく耳にするたらればで兄直義弟尊氏だったらてのがあるけどどうなんだろうな >>884
その鎌倉幕府だってグダグダになって崩壊したわけで
そういう時代だったとしか言いようがないな
統制に成功するまでには豊臣徳川までかかった
豊臣にしても統制するために外征を必要としたし
徳川に至っては経済を徹底的に締め付けて250年間の経済停滞を引き起こした
室町時代の人口増加と経済発展を思えば、
乱れまくっていてもそっちの方が日本全体にとっては正解だったのかもしれんよ >>890
ヨーロッパもだが中世とはそういう物なんだろうな >>890
ヨーロッパもだが中世とはそういう物なんだろうな いや後醍醐がいなきゃそのまま鎌倉幕府続いてた言われてるぞ
奥州で安東氏が反乱起こしたぐらいで後は普通だった
どっちかというと釜の蓋を開けてgdgdになったという感じ どうだろう
利益を分配出来なくなってるから不満の種はそこらじゅうにあっただろうしな ただ北条氏を排除した形での鎌倉幕府の継続というのも有り得たかもしれないね 今のミャンマーのアウンサンスーチーが建武の新政に失敗した後醍醐天皇と重なって見える 楠木正成の姉妹が観阿弥の妻であり世阿弥の母であるっいぇのは有力な説なんだってな。
完全に架空キャラだと思って甘く見てたわ。ゴメンな樋口可南子 >>871
役所は徳川家康の信長やろう!あれで一躍有名になってNHKで続けて武蔵 >>894
内管領を排し合議制の復活ならワンチャン いよいよあさって最終回「尊氏の死」放送か
DVDで何回も見てるから新鮮味はないけど 判官びいき
1.太平記での推しキャラが佐々木道誉
2.足利尊氏(高氏)
3.判官殿の好んだ諸事芸術 申楽一座、立花、闘茶など >>906
第一回から最終回まで、判官殿は何回
「ハハハハ〜〜ッ!(* ゚∀゚」
と高笑いしたか、誰か数えてくれないかな。 >>908
ちょっと調べたら数えてる人が実際にいるのすぐ分かるだろうに
こういう人って実際は何回あるかなんて全く興味ないんだろうな >>876
日本映画は悩んでばかりが多いって・・・・
日本映画あまり観た事ないだろ? 湊川に繰り広げられた楠木軍の阿修羅の奮戦。さしもの正成も“敗者復活”の足利軍に制圧された。正成の死は、後醍醐方の大堤防の決壊に等しかった。浮き足立つ新田義貞軍、帝(みかど)のあわただしい吉野ごもり。その後の楠木正行、北畠顕家の悲劇。しかし尊氏も、都にわが世の春を謳うとは見えなかった。一族の内紛?勝者の悲哀?彼は何を感じていたか。終章「黒白問答」が、その解答である。 >>793
といっても側近自身が都を捨てれば価値は下がってしまうと認める程度の物だったらしいが この1年で最も熱心に見た。半沢より熱中して見たな。
全部録画で月曜あたりに見たが、明日だけはできれば放映時に見たいもの 心に残る名セリフを偲びましょう。
「こりゃ、足利、こりゃ!」 犬でも猫でもあるまいに、己の生んだ子を忘れるやつがあるか
これは太守からの警告だったんだ
ちゃんと繋がってるんだな 高氏と藤夜叉のSMプレイがカットされたのは残念だったな 初回の
貞氏「ならば師氏、我らはいつになったら北条と戦える。戦うには味方がいる。
味方となるべき源氏の一党を見殺しにして、我らはいつになったら北条を倒せる!」「無念とは思わんか・・・・」
開始当時の本編予告でもちょっとあったシーン、こういう流れだったのか。 30年前、センター試験1ヶ月前なのにじっくり見た記憶がある。
クラスのみんなも見てたけど。右馬助が人気だった。最後殺されちゃうのが・・ 終盤のカオス状況見たら鎌倉幕府でよかったやんと思うよな ダメだこりゃ。ストーリー忘れてたらマジにスレ見ると損しかねーな
ウマ之助死ぬのかよ >>923
石がフェードアウトしなければ死ななかったかもだけど。
しかし死んだ後の尊氏本陣の反応を思うと、今から切ない >>924
世の中の構造が変化してるから何も変わらずそのままではいられなかった
この混乱があってやがて近世に至るわけだから 右馬助はその死に方まで話を転がすために便利に使われすぎた気がするな 右馬介が一発変換で出ないんだよなあw左馬助は出るんだけどw 石なんかどうでもいいんだよ。
ストロング金剛さんとミスターオクレさんに最後壮絶な見せ場を与えて退場させてもらいたかった。 >>878
正成像も皇居前にあるしな。
元は三井が押し付けたらしいけど。 前NHK BSの番組で北条時宗がもっと長く生きてたら
鎌倉幕府が続いてそのまま戦国時代に行ったかもしれん言われてたな
理屈は知らん >>933
三河システムを知らんから、間抜けな事を言う
北条は三河システムの長でない以上、排除されて当たり前
承久の乱の時に政子の檄文を読み上げたのは三河武士の安達景盛 
三河縁故の武士が、裏でガッチリタッグを組んでいた
北条が乗り越えられなかったのは、頼朝が構築した三河システム(三河縁者が武家社会を牛耳るシステム)  
男系、女系共に源頼朝に近い足利氏が使命感をもって、武家社会を源頼朝の三河システム(三河縁者が武家社会を牛耳るシステム)に戻したのさ 
その三河システムの存在は政子ちゃんは周知の事だ  
頼朝やその息子孫がいなくなって、政子が頼りにしたのは三河で繋がる人々だったのは明白だろう、政子の葬儀奉行は三河守護の足利義氏だった 
金剛三昧院(本尊、愛染明王は北条政子が、当時仏師として世間に名を広めていた運慶に依頼し、頼朝公の等身大の坐像念持仏として作成) 
・建暦元年(1211年)、北条政子の発願により源頼朝菩提のために禅定院として創建する 
・承久元年(1219年)、源実朝菩提のために禅定院を改築して金剛三昧院と改称し、以後将軍家の菩提寺として信仰する 
・貞応2年(1223年)、北条政子が禅定如実として入道し、建立奉行を葛山景倫(願性)・安達景盛が務め、源頼朝と源実朝の菩提を弔うための多宝塔(国宝)を建立する 
・嘉禎4年(1238年)、足利義氏は政子の十三回忌にあたり、当院に大仏殿を建立し、丈六の大日如来像を奉安して、政子と実朝公の遺骨を納める 
・源実朝 
藤原実範(三河守)→藤原季兼(三河四郎大夫、伊勢権守令)→藤原季範(初代藤姓熱田大宮司、額田冠者(三河国額田郡))→由良御前→源頼朝→源実朝 
葛山景倫(願性) 
藤原実範(三河守)→女(藤原季兼(三河四郎大夫、伊勢権守令)の妹)→高橋惟康(三河国高橋荘領主)→鮎沢惟兼→葛山惟忠→景忠→景倫(願性) 
・安達景盛 
小田野兼広(三河国八名郡小野田)→安達盛長(三河国小野田荘地頭、三河守護)→安達景盛(三河国小野田荘地頭、1221年まで三河守護だったか?) 
・足利義氏 
藤原実範(三河守)→藤原季兼(三河四郎大夫、伊勢権守令)→藤原季範(初代藤姓熱田大宮司、額田冠者(三河国額田郡))→女(養女)→足利義兼→足利義氏(三河守護)  >>924
大殿「北条(当時の鎌倉)は平氏、我らは源氏。夢ゆめ北条(平氏)の犬には成り下がらぬ」
鎌倉幕府を作ったのは清和源氏の頼朝、ゆえに大殿は平氏から源氏政権を取り戻した
その後は、源朝臣じゃないとという流れも作った
(神君も将軍宣下のとき源家康) 太平記つながりで真田太平記も見たいが大河じゃないからこの枠では無理だよな 再放送ありがとうありがとう!
なんがもう最後は泣いてしまった
麒麟と同じく最後の方は駆け足だったけどでも十分名作大河だと思う
再放送は本当に感謝。またやってくれてもいいくらいだわ >>940
大河の最高傑作
毎年エンドレスでこれの再放送でもいいレベルです
とはいえ4月からの日日も楽しみにしているけど >>938
津川が絶賛されがちだけど
中村梅之助家康は
いわゆる家康イメージぴったりな人 直義は菓子を持ってこられた時点で気付いたのかそれとも昔話の途中で空気読んで気付いたのか
なんにしても直義の最期には泣いた
右馬介の最期にも泣いた >>918
「やいっ足利!犬猫ではあるまいに、己が生ました子を忘れる奴があろうか?」 しれっと最後まで主役夫婦と並んでる道誉がいい
尊氏の言葉に涙ぐむのも良かった
ただ初めて会った時から友と思ってたは盛りすぎだろ
ずっと警戒してる感じだったぞw 物語が右馬介で始まって右馬介で終わった感じ
もう準主役と言ってもいいくらい 義詮尊氏没後の10年で死ぬけど、
尊氏も35歳で将軍になって死んだのが54だから半分もたせればいいほうか
しかも戦乱の後始末まで押し付けられたしな 尊氏の今度は我が子が自分の夢を焼き払おうとしてるって台詞が胸に刺さった
直冬と義詮の俳優さんは駆け出しのせいか演技はあんま上手くなかったけど不知哉丸の粗野な感じと千寿王のお坊ちゃんな感じがそのまま成長した感じが対照的でよかった >>942
ミスター家康 歴史ドラマの家康
よよよい家康 講談ドラマの家康
真田太平記はリアルな歴史物語とは一線を画しているから梅ちゃんみたいな従来型のタヌキな家康の方があっている
スレちですまん >>946
警戒してる割には、初めから道誉の家にお泊まりして修学旅行の夜を楽しんでるけどな朝まで >>946
北畠邸に初めて招かれたときにいきなり奥からどーよの高笑いが聞こえてきて、一瞬立ち止まっていたし 病に伏す尊氏、顔は老けメイクでも背中で隆起する筋肉だけは隠せなかったのは御愛嬌。 なかなかの傑作大河ドラマだった
北条高時、楠木正成、足利直義の最期はいつ見ても泣ける 義満は51で頓死。
得宗とは言わないが、みな早めに死ぬな。 しかし、干菓子じゃなく、カステイラだったら直義もあっさり帰る気になったかも知れんと思うと残念。 >>957
判官殿は78まで元気w
トリックスターというか
キングメーカーぶりを存分に 初回から最終回までが速く感じられた
終わるのが寂しい
初めて会った時から生涯の友と思ってたというのはウソだろwと思ったけど
あれは口説き文句として判官殿も納得したんだろうな 尊氏の死因はよう分からんと言う事か?傷による感染症という説があるようだけど、このドラマではこの説は採用してないな。 真田太平記は確かに再放送してほしい
草刈パパも好きだけどやっぱ丹波哲郎の昌幸が大好き過ぎる
去年まだ太平記が再放送されるのを知らずに鎌倉に行ったなー 当初もゴッドファーザーっぽいって話題があったかもしれないけど
兄弟殺しや
本来あった理想と裏腹に昔からの仲間とも戦う孤独感
なんかはゴッドファーザーっぽい スレ立てできなかった
誰かできる人いたら一行目は
・2020年BSプレミアムにて再放送
に文言を変更してほしい 自分一昨日別板でスレ立てしちゃったからなー
すまん ど派手な金閣みたら「わしの目指した美しい世ではない!」と怒りそうだけどw
「ようやく登子のもとへと帰って参りました」と言っていても、肝心の登子がなにやら黒いままの気も
とにかく1年ありがとう。
来週は昼まで寝てるわ。 >>943
お菓子持ってきたとこまではいつもの懐柔策で、昔ばなし始めたとこで気づいたんだと思う。汁を飲むときに尊氏がアップになるんで毒はこちらでお菓子は名産品てことで >>962
こんな不良に惑わされてはいかん、ってお坊っちゃまぶりだったもんな
そのわりにはちゃっかり藤夜叉としっぽり 笑 初対面のとき、道誉の立花論にぶったまげた顔しかしてないな、若き高氏w >>962
まあ息子と孫を頼んだという事なんだろうな
秀吉みたいに泣きながら家康に懇願するよりスマートだ ラストの尊氏の思い浮かべた人物で日野俊基が入ってないのはなんでだろう?
義貞、正成と並んで人生の転換点になったと思うのだが。 >>965
草燃えるの義時もだが純情青年が状況に揉まれて非情な策謀家になっていくというのも 「もう争わぬ」と尊氏が言った時点での、直義の悟った表情が素晴らしかった。 >>973
あれは武田鉄矢のアドリブのようだ。
しかし、幼子を託して死ななければならない無念と悲哀が溢れる名シーンには違いない。 放送当時は幕府滅ぼすまでがメインだと思って
後半はあまり見てなかったけど、こうやって全話
通して見たら、幕府滅ぼしてからが本番なんだよなあ レス数が950を超えています。1000を超えると書き込みができなくなります。