能「知章」を挟んだのは深く考えた構成だったんだなと思う。
1 知章が知盛を守って討ち死にする戦いは、一の谷の戦いで寿永3年2月 ちょうど今の季節。
2 場所は須磨の浦 だから水面にかがり火が揺らめく演出だった。舞台ではなく池のある庭での薪能か。
3 知章の年齢は16歳。慶喜もそれくらい。実際はプロが演じたけれども、話の上では慶喜が演じた。
4 将軍も慶喜もこの時は知らないが、平家が滅びたように幕府も滅びる運命。

能「知章ともあきら」原典は「平家物語」知章最期
概要
筑紫の旅僧が須磨の浦で平知章の墓に行きあたり供養をしていると、男が忽然と現われます。
男は知章の父知盛と井の上黒という名の愛馬の話をし、姿を消しました。知章の話を里人から
聞いた僧が供養を行うと、甲冑姿の知章の幽霊が出現します。霊は、子を失った知盛の悲しみや
自らの最期の様子を語り、さらなる供養を頼み消え失せました。

浜の男(前シテ)と甲冑姿の知章の亡霊(後シテ)が語る話
1 愛馬石黒
合戦から引き退くときに知盛は井上黒という名馬に乗って、海を泳ぎ渡り、無事に沖の船に
たどり着いたのですが、船中に馬を乗せる場所も乗せる手助けを人もいません。馬はまた元の
汀に戻ると主人である知盛を慕って、沖の方に向かっていななき、前足で地を蹴り、別れを
悲しみました。
2 戦い
波打ち際の戦いで味方は敵に討たれ、父の新中納言知盛と知章、そして家来の監物太郎
けんもつたろう〕の三騎になってしまいました。三騎は天皇の乗った沖の船を目指しますが、
また敵が打ち寄せて来て、知章と監物太郎はここで討死してしまいます。その間に知盛は沖の
船にたどり着き、命が助かったのでした。船に着いた知盛は二人を見捨ててしまったと恥じて
涙を流し、船の人々も皆、鎧の袖を濡らし、十六歳で命を失い埋もれ木となった武蔵守知章の
運命と海に漂う平家一門の悲運を嘆きます。
3 自らの最期
知盛・知章・監物太郎に敵が寄せてきました。敵の旗印を見て、監物太郎が「児玉党だな、
大げさな」と言って矢を放つと、敵の旗を持った男の首に矢が深く刺さり、男は馬からどうと
落ちました。そこへ一党の主人らしい敵が知盛を目がけ、駆け寄せて来ます。知章は父親を
討たせるわけにはいかないと駆け寄り、立ちふさがって敵とむずと組み合うと、馬からどうと
落ち、敵を押さえて首を掻き切ります。しかし起き上がろうとした知章は、敵の家来に首を
取られてしまいました。
http://www.tessen.org/dictionary/explain/tomoakira
最期を語り終えた知章の霊はさらなる弔いを願い、消え去る。
青天の舞では知章が自らの最期を語りながら舞う場面だったんだろう。
知盛は「船弁慶」という能で亡霊となって、兄に追われ敗走する義経の船を襲う形で
登場する。