【第26回】(1) ht○tps:// rchive.is/XYog1 (2) ht○tps:// rchive.is/ISoi8 (3) ht○tps:// rchive.is/4aPoZ (4) ht○tps:// rchive.is/C1RDR
【渋沢栄一の伝記でも、明治時代からの比率が圧倒的に多い。くどいですが、渋沢栄一主役説もあった1980年の大河ドラマ『獅子の時代』は第一回がパリ万博でした。
なのに9月になっても明治維新をやっている本作はどうしたことでしょう。根本的なところで何かがおかしいので、さすがに何度も指摘せざるを得ません。】(1ページ目)
【そして宴会の場面へ。考証的な疑問が色々と湧いてくるシーンですが、それより何より、なぜ戊辰戦争という見せ場を削って、宴会とか鉄道トークで時間を潰すのでしょうか。】(1ページ目)
→ 「9月になっても明治維新」と非難しながら「戊辰戦争を削ったのはけしからん!」というのはどういうこと?
【栄一、それに慶喜にもそういう傾向を感じるのですが、本作はともかく主人公周辺が責任回避をしがち。】(1ページ目)
→ 少なくとも私は、今年の主人公の方が去年の主人公より自省的な気がします。
→ 2ページ目の半ばで総評、その後はまたもや天狗党の話などが延々と続きます。
【しかし、くどくどと述べましたように、これでは彰義隊や川路聖謨の酷い死がまるでなかったようにも思えるのです。】(4ページ目)
→ 川路聖謨の自決自体はドラマ内で紹介されていたし、上野戦争まで描けばそれこそ「明治」の割く尺がなくなってしまうでしょう。
→ ちなみに小檜山note(09/12)記事で、『荀子』「我を非として当たる者は吾が師なり」を引用してますが、noteや『武将ジャパン』のコメント欄を実質的に閉じているのは『荀子』と矛盾するのでは?
レス番128さんへ
>この人万一博物館とかに招待されたらどんな態度取るのかな。
博物館で読書を始めて招待してくれた人との人間関係を壊すと思います。