>>13の続きです〕

【渋沢栄一はこういう「別分野に口出しをする人物」の典型例だと思えるからです。ドラマでは技術を見て驚いていますが、渋沢栄一は工業系の技術については疎い。
 もっとキッパリいえば、漢籍理解についても専門家ではありませんし、当時の経済以外は通じないと認識した方がよいかと思います。】(2ページ目)
 → さすがに渋沢に専門家並みの漢籍知識を求める人はいるまい。理系知識についても専門教育を受けていないことは知られている。
  さて「顰に倣う」を「胸を押さえる仕草」(第10回レビュー2ページ目)と解釈する武者氏に専門家並みの漢籍知識はあるのか、「脚気によりビタミン不足」が生じると思っている彼女に理系知識が欠片でもあるのか?

【先週の放送で、徳川慶喜と渋沢栄一が共に復唱していた「家康の遺訓」を覚えていらっしゃいますでしょうか。これがここ数年でもかなり大きな大暴投となりそうで。
  ◆妙に似合っていたナポレオン三世から贈られた軍服。そして、慶喜と篤太夫が「大権現様のご遺訓を唱和」の厄介な問題【青天を衝け 満喫リポート】(→link)
 ↑こちらの記事のおかげで思い出しました。
 該当の部分を引用させていただきます。
 A:書棚の奥の奥から昭和57年に刊行された『徳川家康おもしろ ものしり雑学事典』(講談社刊)を引っ張り出してきました。中学生の時に買った本ですね。
 この本の中には、遺訓を引用した後に〈よくできている教えだが、実はこの遺訓は家康が書いたものではなく、後世に作られたものだろうといわれ、今日ではその説がまかり通っている〉とあります。その後、尾張徳川家先代ご当主の徳川義宣さんの研究で由来も明らかになりました。
 同氏は吉川弘文館の『国史大辞典』の「東照宮御遺訓」の項目を執筆していますが、こうあります。
 〈「人の一生は(中略)過ぎたるよりまされり」の一文が徳川家康遺訓として世に知られているが、これは徳川光圀作として伝えられていた『人のいましめ』の教訓文を、幕末期に一部改め、『東照宮御遺訓』と改題して民間に流布せしめ、今日に至ったものである〉。
 どこまで水戸が祟るのか……水戸学の始祖であり、いろいろ自己流解釈をしてしまっていた徳川光圀の創作です。
 むしろ家康は、あそこで出てきてこう突っ込むべきでした。
 「いやあ、感動的な場面に突っ込んで何だけど、私はこんなこと言い残していないんだよね」
 そう突っ込まない本作の家康は、やはりおかしい。大事な言葉だけに、制作サイドも少しだけ確認すれよかったことです。それなのに手抜きとも思われるミス。】(2ページ目)
 → この部分、元テンプレ厨のコメントは控えます。皆様でお好きなように料理してくださいませ。

〔疲れた、というより気分が悪くなりそうなので、とりあえずここで終わります〕