『青天』第30回レビュー魚拓です(「○」を削除して「//」の後の半角スペースに「a」を挿入してください)。
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 【栄一にせよ、慶喜にせよ、本作には「手柄は自分のおかげ、失敗は周囲のせい」にする傾向がある。『麒麟がくる』の場合、光秀を筆頭に自分の落ち度を恥じる人物が多かった。】(1ページ目)
 → 『麒麟』『青天』と2年続けて武者氏は異次元世界にいらっしゃるようです。

 【帰宅するとだらしない格好で食事をしながら、千代に愚痴を言っています。偉人を身近に見せるという狙いなのかもしれませんが、行儀悪い印象の方が上回ってしまいませんか?
  『おかえりモネ』で、内野聖陽さんが食事を取りながら話す場面がありました。ごく自然なようで、口の中身が全く見えず、しかも発音がクリアで心底驚かされたもの。役者の力量、経験値を見せられた印象です。】(1ページ目)
 → 確かにあのシーンでの栄一はだらしない格好だったが、妻(と途中から娘)しかいない場面だったのだからそれが何か?また、そのことは「食事を取りながら話す」ということ及び役者の力量とは無関係。

 【この時代、しかも渋沢栄一がうたと寝るというのはありなのでしょうか?本作はどうにも家族の描き方が昭和か平成のように見えてしまいます。】(1ページ目)
 → 武者氏の指摘が的を射ているのかもしれないが、歴史系レビュアーを称するのなら、具体的論証をお願いしたい。

 【『あさが来た』では、新貨幣制定で西日本の銀本位制が捨てられ、大阪商人がパニックに陥る様がありました。本作では完全スルー。まぁ、あちらは上方舞台のドラマでしたから避けて通れませんが、だとすれば本作で五代友厚を大きく取り上げる整合性もズレてしまう気が。】(1ページ目)
 → ズレてしまう気は全くしません。栄一も各藩の藩札交換比率で悩んでいたことが描かれてましたから。上方のことは上方のことであり、五代登場の意義については今後のドラマの展開によって吟味されるべきでしょう。

 【(五代と栄一の)二人は以前、肥料屋で出会ってました。こうした出会いを『西郷どん』では【フェイス・トゥ・フェイスシステム】と名付けた気がします。そんな【FtoF】システムばかりでなく、財政通として会議で顔を合わせてはいけませんか?
  確かに『麒麟がくる』でも序盤に偶然の出会いはありましたが、光秀が織田家に出仕するころにはそんなことしなくなっていました。】(1ページ目)
 → 五代と栄一の出会いも『麒麟』の序盤と同様かと、いや光秀と松永久秀との出会いとは異なりその後の展開に影響を及ぼさなかった「出会い」だったので、ちょっとした洒落で済むレベルだと思う。