【第2回】(2022/01/17)(1) ht○tps:// rchive.md/K7cMD (2) ht○tps:// rchive.md/yxJH7
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【十年前の2012年『平清盛』は大河の改革を目指していました。それは惜しいところまでは到達できたけれども、足りない点があったと思えます。宋考証の甘さです。その反省を踏まえ、今回は日宋関係をより精密にするのではないかと思いたい。源実朝も宋とは関わりが深い人物ですので。
 さらには本作と『麒麟がくる』を比較してみたい。同作品では、漢籍由来の言葉が頻繁に使われていました。暴虎馮河などなど。しかし本作ではそうではない。たとえば北条義政が頼朝をかばったときに、「窮鳥懐に入れば猟師も殺さずと言います!」なんてことは言わないんですね。】(1ページ目)
→ 武者氏は「宋考証の甘さ」というが、例によって具体的指摘はない。仮に清盛の宋剣のことを意図しているならそれは「日本史考証の甘さ」と言うべきだろう。なお引用部分の最後はレビュー4ページ目の「漢籍マウンティング」に繋がる。

【あとこの場面でもはっきりとわかりますが、このドラマは口調に注目ですね。「首ちょんぱ」とか、現代語を使って親しみやすくするとされていますが、それだけではありません。
 時政は語彙力が低く、言い方がぞんざいで荒っぽい。祐親はそうでもなく、時代劇口調になっています。
 これは三谷さんの怖いところですよ。こういうぞんざいな口調にする理由は想像がつきます。
 細川重男先生という、鎌倉時代の研究者がおられます。彼の著書は大胆極まりない意訳が特徴で、坂東武者がチンピラモヒカンのような口調で喋り倒しています。地の文も、坂東武者にツッコミを入れることがしばしばある。それがハマっているんですね。
 戦国武士ならこうはならないでしょう。要は、この時代の柄の悪い坂東武者に、こういう口調が似合う。】(1ページ目)
 → 武者氏のアクロバティックな擁護炸裂!反論はスレ住人の皆さんにお任せします。

【義村は、その状況を慰めるどころかこうだ。「首、刎ねちまえよ!」知略が高くても手段は所詮坂東武者かーい。さらに首を清盛に届けろと言うわけですが、義時は兄上が許さないと戸惑っています。
 「ま、がんばってくれ」そう去っていく義村。もう、こいつはなんなんだ……。言いたいことはわかります。首を刎ねて届けたら、そりゃ恩賞くらいもらえるでしょう。
 大庭景親は殺したらまずいと言っているものの、視聴者ならば正解はわかっています。清盛は頼朝のことなんて気にも留めていない。首を届けられたところで、怒りはしません。
 三浦義村という輩は、誰かの気持ちなんて無視して正解にまっすぐたどりつく知略がある。一方で北条義時は、周囲の気持ちをふまえた行動をする。
 三谷脚本の山本耕史さんは進歩が止まりませんね。頭がキレるナンバーツーであるところは、『新選組!』の土方歳三、『真田丸』の石田三成と同じです。】(1ページ目)
 → 久々に「知略が高い」という言葉を用いた武者氏だが、その後の義時との対比はズレてないか?こういう場合、一般的には義時の方が「知略が高い」(笑)というと思うぞ?