鎌倉殿の13人感想あらすじレビュー最終回「報いの時」2022/12/20
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→ 放送日から2日目のレビューアップは珍しい。武者氏も四十代半ばに差し掛かり、体調が悪いのかな?心配です。

【幕府軍19万に対し、後鳥羽院が動かせる兵数は、藤原秀康によると1万余りだとか。
「19万など、どうせまやかしに決まっている!」そう毒づく後白河院ですが、確かにこの数字は誇張であり、信憑性は薄いとされますね。】(1ページ目)
 → なぜか当然登場する後白河院、さすが日本一の大天狗!

【夫(そ)れ未(いま)だ戦わずして廟算(びょうさん)して勝つ者は、算を得ること多ければなり。『孫子』「計篇」
 【意訳】出陣前のシュミレーションで勝つと判断されたものは、事前にデータ解析をして勝てるようにしている】(1ページ目)
 → 漢籍マウンティングはいつものことだが、プロのライターなら「シュミレーション」は「シミュレーション」と書いて欲しかった。

【こうして急造された筏ですが、実際はどういう形だったか、詳細は不明なようです。日本では、船の進歩も原始的でした。
 司馬懿が主役の華流時代劇『軍師連盟』あたりをご覧になられると一目瞭然でしょう。
 同作品では、帆をつけた船団が水上戦をします。中国では、黄河と長江という二大河川が国内を横断しており、戦闘用の船が古来より発達していました。
 それが日本では、鎌倉時代になっても、小舟の基本的な構造は弥生時代とさほど変わりません。】(2ページ目)
 → 華流時代劇を出しての日本叩きも武者氏の伝統芸だが、日本でも遣唐使船は建造していたし、失敗に終わったとはいえ、陳和卿の手助けを受けつつも実朝公が大船を作っていたことは忘却の彼方ですか?

【日本史上最大の怨霊とされる崇徳院って、実は流刑先で穏やかに過ごしていたそうなのですね。一方で後鳥羽院は全力怨霊アピールをした。】(2ページ目)
 → 崇徳院の讃岐での生活が穏やかなものだったのか(まさか写経してたから平穏なんて単純なことではないですよね?)、詳しい方の解説をお願いします。

【この液体の正体は何なのか? というと、のえの京都の知り合いが送ってきた薬草を煎じたものだそうです。】(2ページ目)
【妻であるのえは、麻の毒を盛り続けました。】(4ページ目)
 → 薬草ではなく明確に「あさ」と言っていたのに、なぜ2ページ目では「薬草」と言い換えるのか?

【昨年の大河ドラマ『青天を衝け』では、こうした組織のスタンスが見えにくく、渋沢栄一を神格化していた。亡国の兆しだとむしろ嫌な気持ちになったものです。】(3ページ目)
 → この期に及んでもなお『青天』sageですか?それに別に渋沢を神格化してなかったと思いますけど。

【 天地は仁ならず、万物を持って芻狗と為す。『老子』
  天地に仁はない。ありとあらゆるものを藁の犬にしてしまう。
 頼朝の死により、チリンチリンと流れていた鈴の音。それを聞いた義時は天命に選ばれ、高みに上り詰める。
 しかし後鳥羽院を島流しにし、武士の世を確立するという天命を果たした後、藁の犬は燃やされます。
 よってたかって心をへし折られ、這いつくばって死ぬ。天命に捨てられた藁の細工が横たわっている、圧倒的な虚無がそこにはありました。】(4ページ目)
 → >>340では「芻狗」の語を間違っていた武者氏、ここでは一応『老子』の原義に順じているが、この義時公の最期をこのように捉える人は少数派だと思う。