改めて思うが、公暁に源義家の遺伝子が3回入っている
本来なら、鎌倉将軍として申し分ない血筋

源義家→為義→義朝→頼朝→頼家→公暁

源義家→為義→義朝→為朝→女(足助重長(三河国加茂郡足助)娘)→公暁

源義家→女(源重遠室)→浦野重直→足助重長(三河国加茂郡足助)→女(源為朝娘)→公暁


公暁は三河を頼ったんだろうが、断られたんだろうな
公暁の実朝暗殺は計画的であったが稚拙な計画の単独犯だったが結論だ



吾妻鏡
建保七年(1219)二月六日条
六日癸卯、故鶴岡別当闍梨の使ひ白河左衛門尉大神宮に詣で、奉幣を遂げ還向するの処、三河国矢作宿に於いて、彼の滅亡の事を聞き自殺すと云々、
 


六日癸卯、故鶴岡別当闍梨(公暁)の使者である白河左衛門尉(義典)が(伊勢)大神宮に参詣し、奉幣を行い(鎌倉に)帰る途中、三河国の矢作宿で公暁が滅んだと聞いて自殺したという。