>>557
それはそれで筋は通ってるんだよ
このドラマの義時は、特に時政追放以後ははっきりと「公・公共の人」なの

客観的にはとにかく、主観的にはな。
和田の謀殺も実朝の謀殺も、他の御家人が一族一門の為と言う私益で動く中
「鎌倉の為」と言う、現代的に言えば「公共の福祉の為」と
「本人は」真面目に無私のつもりで考えてる
その手法も含めて、そういう所はタイプ的にはスターリンに近いタイプ

だから、時々、公的には謀叛人の時政には親族に差し入れや見舞いを許したり
事態が緩んだら少々姉に甘えたり
確実にプライベートにおさまる場所限定で「私」の顔を見せる、「私」をそういう場所に限定する

そうなると、幾ら策謀を尽くしても、上皇と言う最高権威から義時一人が正式に的掛けられたら
義時の器では詰むしかない。今まで他人に求めて来た、最終的に強制して来た様に
「鎌倉と言う公共の福祉の為に私を」差し出すしかない
そして、ここまで感情的に甘々で義時に始末を任せて来た政子が、その感情的なキャラクターで
「やかましい、弟が大事に決まってるだろ」とケツまくるのもキャラクターとして筋が通ってる