>>715
まぁ、北条氏に三河と血縁関係がある人間がいなかったから足利氏に白羽の矢がだったのだろうけど後々を考えると不味かったよね。
足利氏は元々朝廷との関係が深い。
本貫地の足利荘は八条門院領の主要な荘園の一つで地元の記録によれば兄の代官をしていた足利義兼は足利荘で以仁王の令旨を受け取り頼朝と合流したという。
八条門院領はその後、後鳥羽上皇を経て後醍醐天皇の大覚寺統が相続しており足利尊氏も割と早期から後醍醐天皇側と連絡を取り合っていた可能性が高い。
また、義兼の息子の義氏の姉や娘も院近臣に嫁いでおり、娘に至っては後嵯峨天皇の乳母になっている。
これだけ朝廷とズブズブ関係の足利氏に重要拠点の三河を植民地として与えるのはかなりの危険行為だがそれだけ政子は足利氏を信用していたのだろう。
結果的にその信用は完全に裏目だった。