江戸幕府をひらいた戦国ラスボス・徳川家康は、意外と若い頃は無テッポーで失敗だらけ。
そんな若者を陰で支えたのが「徳川四天王」!天下人・家康、その始まりの物語。
酒井忠次のよく語られるエピソードが信康自刃事件です。
織田信長から家康の嫡子・松平信康が武田家に内通しているという疑いをかけられた際、忠次が大久保忠世と共に弁解の使者に赴きます。
信長と面会しますが、一切の弁明をしなかったため、信康が切腹することになりました。この事件により家康との間に亀裂が入ったといわれています。
家康が関東に移封された時、嫡男家次が与えられた臼井三万石は、当時、徳川四天王の他の三人が十万石規模であったことに比べて小禄でした。
これに忠次が抗議した際、「お前も我が子が可愛いか」と信康事件の事をひきあいに出したという逸話が残っています。
0092公共放送名無しさん2017/04/16(日) 01:31:58.92ID:rT9bEb4R
桑名の位置がおかしくね
館林や白河、会津に身内や有能なのを置いたのも伊達政宗を意識したのかな
0098公共放送名無しさん2017/04/16(日) 01:33:24.29ID:Zg/GCuig
庄内藩って戊辰戦争で官軍を苦戦に追い込んだ藩だっけ?
おまいらは朝まで家呑みする友人とかいるのかお(´;ω;`)
0105公共放送名無しさん2017/04/16(日) 01:34:52.38ID:rT9bEb4R
大久保彦左衛門なら知ってる
0111公共放送名無しさん2017/04/16(日) 01:35:26.38ID:cGgu766r
ハゲばっかwww
0113公共放送名無しさん2017/04/16(日) 01:35:59.76ID:Zg/GCuig
天下を掌握した徳川家康とその一族が行ったこと
・戦国時代に存在した名族・絶家の子孫を日本全国で探索し、全て幕臣として取り立てた ※家康が名家・名族コレクター
・家康がある意味世話になった今川義元、織田信長、豊臣秀吉らを散々扱き下ろした ※史書改変。家康の威信に関わる為
・家康が活躍した戦国時代をネタに民衆が話し合うのを禁止した ※家康の失態が公に広まるのを恐れた為
・戦国時代を題材にした歌舞伎の上演を禁止した ※風紀粛正及び家康にとって都合の悪い内容もあった為
・戦国武将の肖像画を描く事を禁じた ※当時の画家は実在武将の姓名を改変させる事で幕府の追求を逃れた
徳川家が江戸期を通して否定してきた対象は後の明治政府により撤廃され
これまで大権現 (神) として崇められていた徳川家康への信仰を止めさせると共に
江戸期に渡って卑下の対象となっていた織田信長や豊臣秀吉に対しての再評価が始まった
まぁ秀吉は実際に忠勝が欲しかったしな
人材は欲しかったと思うぞ
井伊直政・・・10代の頃から家康にケツの穴を・・・
これだけカリスマがあったから日本を平定できたんだなぁ
秀吉は最初は良かったけど老害モードで人望が離れたからなぁ
戦国時代だって結局やってる事は戦争なのに
なんか格好良い風潮があるよな
それなら他の時代も見直されても良い筈
0135公共放送名無しさん2017/04/16(日) 01:41:05.20ID:Zg/GCuig
>>124
武士はいつでも戦場に立つ覚悟がないとな 0136公共放送名無しさん2017/04/16(日) 01:41:06.30ID:cGgu766r