[再]歴史秘話ヒストリア「ヤング家康 徳川四天王との絆〜若殿を支えた三河武士団」©2ch.net
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江戸幕府をひらいた戦国ラスボス・徳川家康は、意外と若い頃は無テッポーで失敗だらけ。
そんな若者を陰で支えたのが「徳川四天王」!天下人・家康、その始まりの物語。 酒井忠次のよく語られるエピソードが信康自刃事件です。
織田信長から家康の嫡子・松平信康が武田家に内通しているという疑いをかけられた際、忠次が大久保忠世と共に弁解の使者に赴きます。
信長と面会しますが、一切の弁明をしなかったため、信康が切腹することになりました。この事件により家康との間に亀裂が入ったといわれています。
家康が関東に移封された時、嫡男家次が与えられた臼井三万石は、当時、徳川四天王の他の三人が十万石規模であったことに比べて小禄でした。
これに忠次が抗議した際、「お前も我が子が可愛いか」と信康事件の事をひきあいに出したという逸話が残っています。 館林や白河、会津に身内や有能なのを置いたのも伊達政宗を意識したのかな >>88
取手辺りだとかなり東京に近いんじゃないか 庄内藩って戊辰戦争で官軍を苦戦に追い込んだ藩だっけ? おまいらは朝まで家呑みする友人とかいるのかお(´;ω;`) >>102
友だちなんていない
職場でもプライベートな話をするような同僚はいない(´・ω・`) 天下を掌握した徳川家康とその一族が行ったこと
・戦国時代に存在した名族・絶家の子孫を日本全国で探索し、全て幕臣として取り立てた ※家康が名家・名族コレクター
・家康がある意味世話になった今川義元、織田信長、豊臣秀吉らを散々扱き下ろした ※史書改変。家康の威信に関わる為
・家康が活躍した戦国時代をネタに民衆が話し合うのを禁止した ※家康の失態が公に広まるのを恐れた為
・戦国時代を題材にした歌舞伎の上演を禁止した ※風紀粛正及び家康にとって都合の悪い内容もあった為
・戦国武将の肖像画を描く事を禁じた ※当時の画家は実在武将の姓名を改変させる事で幕府の追求を逃れた
徳川家が江戸期を通して否定してきた対象は後の明治政府により撤廃され
これまで大権現 (神) として崇められていた徳川家康への信仰を止めさせると共に
江戸期に渡って卑下の対象となっていた織田信長や豊臣秀吉に対しての再評価が始まった >>109
>>111
兜被るから総髪だと
頭が蒸れるので剃ってた まぁ秀吉は実際に忠勝が欲しかったしな
人材は欲しかったと思うぞ >>106
(;_;)
>>112
(T_T)
>>113
(´;ω;`)ブワッ 井伊直政・・・10代の頃から家康にケツの穴を・・・ >>116
またハゲブーム来ないかな(´・ω・`) これだけカリスマがあったから日本を平定できたんだなぁ
秀吉は最初は良かったけど老害モードで人望が離れたからなぁ 戦国時代だって結局やってる事は戦争なのに
なんか格好良い風潮があるよな
それなら他の時代も見直されても良い筈 >>128
来てるじゃん
恵とか斎藤とかってハゲが人気なんだろ? >>125
だからこその赤備えだよな赤飯みたいなもんだろ >>124
武士はいつでも戦場に立つ覚悟がないとな >>131
つうか近代は他国のプロパガンダが入ってくるから戦争=悪って方向に持って行き過ぎる
まあ前の戦争でボロ負けしたから弱体化の為にやってるって面があるのは仕方がないのはある
戦争は外交手段の一つにすぎない、戦争するかしないかは庶民が決める物でもない
こっちが戦争する気がなくも相手がやる気まんまんなら避けられない ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています