プレミアムシネマ 5690
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moviewalker からキャスト
眠狂四郎・市川雷蔵
采女・藤村志保
つや・高田美和
高姫・久保菜穂子
増子紋之助・成田純一郎
神崎三郎次・丹羽又三郎
榊原喜平太・五味龍太郎
海老名良範・戸田皓久
赤座軍兵衛・浜田雄史
朝比奈伊織・加藤嘉
白鳥主膳・須賀不二男 >>195
腰が流れてしまうのでその欠点を誤魔化すためにバストアップで撮ることが多かったらしいね
本人も同志社大学の相撲部に通ってなんとか克服しようが頑張っていたということだが、学生相手でもとても腰が低くて礼儀正しかったそうな >>195
殺陣ですな
確かに雷蔵の殺陣は上手くないと思う
「剣鬼」の最後、谷間での大立ち回りなんぞもうちょっとなんとかならなかったかなと残念に思う >>221
スゲー金掛かっている
フィルムもドイツのアグファカラーやし 八代目 市川 雷蔵
生年月日 1931年8月29日
没年月日 1969年7月17日(37歳没)
1968年(昭和43年)6月、雷蔵は『関の弥太っぺ』の撮影中に下血に見舞われ、入院した[61]。
検査の結果、直腸癌であることが判明したが、本人には知らされなかった[61][62]。
8月10日に手術を受け退院した[62]が、家族は医師から「半年余りの間に再発する」という宣告を受けた[61]。
雷蔵は生まれつき胃腸が弱く[63]、1961年(昭和36年)にも『沓掛時次郎』の撮影後に下血に見舞われており、病院で精密検査を受けた結果、「直腸に傷がある」という診断を受けたことがあった[63]。
また、1964年(昭和39年)1月に日生劇場で『勧進帳』をつとめた際には武智鉄二に対し、「下痢に悩まされている」と告白している[64]。
退院後、雷蔵は『眠狂四郎悪女狩り』(1969年1月11日公開)『博徒一代 血祭り不動』(1969年(昭和44年)2月12日公開)の撮影を行ったが、体力の衰えが激しく、立ち回りの場面は吹き替えの役者が演じた[65]。
1969年(昭和44年)2月に体調不良を訴え再入院。2度目の手術を受けた雷蔵は、スープも喉を通らなくなるほど衰弱していた[66]が、『あゝ海軍』で海軍士官の役を演じることに意欲を見せ、関係者と打ち合わせを行っていた。
しかし復帰がクランクインに間に合わず、大映は代役に二代目中村吉右衛門を立てて撮影することを決定。
そのことを新聞を読んで知って以来、雷蔵は仕事の話を一切しなくなったという[67][66]。
7月17日、転移性肝がんのため死去。 好き嫌い分かれる作品だけどニセ伴天連の尼僧を容赦なく切り捨てる女妖剣が良かったな 吉宗とか配下の武士の嫁が気に入って
「寄こせ」と言って我が物にしたりこの時代の価値観はよくわからない 凶作で一揆が心配な時期に
お金使いの荒い姫君とは大変だな 俺の大好きな久保菜穂子ちゃんキタ━━━━━━━━m9( ゚∀゚)━━━━━━━━!! >>224
剣鬼は一人斬る度に毎回刀をしまって居合い切りして斬新だなと思った >>232
「平気で斬れる無頼の徒さ」がカッケーやつか 必殺シリーズにも出そうなお姫様
そういやこの監督、必殺の映画撮ってたな 同時上映のガメラを子供と見にきたお母さん困惑だな (´・ω・`) 士農工商撤廃はやめとけおれ未来人だからしってんだ(´・ω・`) >>245
居合を公儀隠密(だったかな?)の内田朝雄に教えてもらったからね
その恩師を(その気はなかったのだけれど)斬ってしまうことになるとは(´・ω・`) 【豆】経済とは経世済民を縮めたもの
江戸時代のできた言葉なんで勘定方なら言ってて変じゃないか 1時間23分と
集中力が続かない実況民にとって
ちょうど良い映画ですね(´・ω・`) 眠狂四郎の時代設定 家斉の時代で凶作は天保の大飢饉のことかいな TVが大画面になったんで映画とTV時代劇の差を感じるわ >>232
地上波で放送してたのはそればっかだったな。
おかげで眠狂四郎といえばあの映画のイメージ。 >>273
藩の内部で内輪もめばかり
お取り壊しですな 結構おしゃべりだね
コメディテイストもあるし
面白いや >>250
それそれ
>>283
伴天連に黒ミサに色仕掛けに頭のおかしい将軍の姫にとてんこ盛りだもんなぁw
狂四郎入門編として最適ではあるかも >>235
でもまあ昔は支配者のぜいたくが経済を回したりしてたからナントモニントモ
豊臣秀吉の聚楽第も西太后の頤和園も同じことだと言えば言える ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています