伝説のコンサート オフコース「1982.6.30日本武道館」★4
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▽9:00-もうすぐ!伝説のコンサート・オフコース <出演>阿部渉・川﨑理加 ▽9:10-「オフコース1982.6.30日本武道館」…前代未聞の10日間連続で行われた武道館コンサート最終公演! ▽10:40-「若い広場~オフコースの世界」…当時テレビにいっさい出演しない姿勢を貫いていた彼らの、大ヒットアルバム「over」レコーディングの様子、ライブ映像、インタビューや制作の舞台裏に密着!
【出演】オフコース,山際淳司,田川律,阿部渉,川﨑理加
前スレ
伝説のコンサート オフコース「1982.6.30日本武道館」★3
https://nhk2.5ch.net/test/read.cgi/livebs/1656766709/ >>791
このバンドに関しては他のメンバーの才能もすごいかと
小田和正だけ音楽の方向性が違うだけで 山際淳司はこれで儲かったからなあ
ファンからは否定されてたけど 当時映像のメディアにオフコースが出ないから
この番組がどれだけ貴重だったことか
ビデオにとって何十回見たことか といいつつ自分のボーカルの狭間をコーラスで埋めてたんです(愛を止めないで) >>797
それは優しい罵倒だよ
これはどういうつもりでいれた音なの?みたいに
緩んだ所をガッツリ突っ込んでた >>829
あ、清水さんとの飲みに合流してくれても。。。 これは文科系女子はたまりませんね
でもなぜか私ははまらなかったのよね >>817
お父様はまだご存命で?
介護に苦労してる? ttps://kaikumikodaisuki.com/wp-content/uploads/2019/12/unnamed-file-226.jpg
小田和正の奥様。お子さんはいないみたいだね >>823
浜省のミッドナイトブルートレインも良いし
佐野元春のR&Rナイトもいい この番組を見てNHKにお手紙を書いたんだよ。そしたら小谷秀穂さんていう偉い人が丁寧なお返事をくれた。番組の裏話がいっぱい教えてもらって手紙は宝物だった。 >>842
1948年生まれ、1995年5月29日没。 >>811
時間が長いだけでやってることの密度は今の1/100ぐらいだよ
誇張じゃなく割とマジで。
20年前に扱ってたデータの量を1としたら今は10,000以上の量をさばいてる。
残業で寝不足なんかなったら脳みそが疲れて仕事が続かない。
うつ病とか流行り出したのってPC使いだしたからだとおもってる。 >>797
そんな感じで近寄り難いんだけど、才気に溢れた鋭い感じに惚れてしまう
近寄って怪我しても我慢できないというか しょうじき小田以外はおまけのバンドだな
しかしバンドなんてのは何でもそうか prophet-5買ってもらったなぁ
高校合格祝いに >>803
自分でやっとこさ買えたのがDXシリーズから外れたV50だったわ
だが時代はサンプリングメインですぐ時代遅れになっちゃった >>882
フットボールアワーの岩尾かと(´・ω・) >>872
俺薬科大学卒だけど、80%くらいいた女子でオフコースが嫌いな人っていなかった記憶 yassが「バンド辞めたい」って言われて、
「オワタ・・・、俺、オワタ・・・」って絶望したのが小田ちゃん ベースの音がちゃんと聞こえる環境で聴いてると楽しいなこれ >>866
自己レス、だからLP1枚選ぶのも、めっちゃ吟味して買っていたなと。
就職してからの90年代は、自分の稼ぎでいろいろ買いまくりましたがw >>872
同じくw
当時は洋楽聞いてた
年取って良くなってきたよ >>888
一年前から草満とサンデースポーツやってたんだよね・・・ 40年前にオフコースで
20年前にスピッツで
今は誰だろう? こんな愛の歌ばっかり聞いてたのに
なぜ、私は独身なんだろう今もw >>862
残念だが・・・「僕らの世界」では演奏されない。
名曲だよね。 >>766
この映像だと30才ぐらいかな
ずいぶん早くに白髪になっちゃったんだね
苦労人なのかしら >>885
へー凄い
自分は好きな漫画家にファンレター書いて、年賀状が送られてくるのを楽しみしてたわ >>884
辿り着くといつもそこには河が横たわっている
それはいつか幼い頃どこかで見たことのある河なのさ
昨夜彼女は傷ついた小鳥のように此処へ訪れた
そして同じ夜明けを迎えたのさ
まるで昔のように(´・ω・) >>873
6年間介護やってきっちりお母さんの待つ天国まで送ってやった
金銭的にも困ることなく暮らしていけてる本当に幸せだった >>823
いいなあ
その頃はユーミソ姐さん見に行ってたよ >>878
1980年に発行された文藝春秋の『Sports Graphic Number』の創刊号に「山際淳司」のペンネームを用いて、
『江夏の21球』というノンフィクションを執筆した。この作品が大きく評判となり、
たちまち山際はスポーツ・ノンフィクション作家としての地位を確立する。
以後、さまざまなスポーツをテーマにした作品などを発表した。
『江夏の21球』などを収録した作品集『スローカーブを、もう一球』で、
1981年に第8回角川書店日本ノンフィクション賞を受賞した。 海リゾート近くのスタジオか
夏休み開けてすぐって感じだよね
日焼け跡が生々しいww >>865
そんな悪意はないかと思うんだけど言葉
はキツくなかったっけ
一般のファンのおばさんが去った後に
あのババアも~だなぁみたいに言ってた気がw イーグルスのアイ・キャン・テル・ユー・ホワイっぽかった >>895
うちにあるDX7は20年ぐらい前にゴミ捨て場で拾ってきたやつ
使わなくなった人が捨てたんだなって思う >>910
知ってる名前だけなら、髭男やキング・ヌー? >>921
昔の曲って
要するに寝たんでしょ
って歌詞が多い印象・・・ ヤスさん、OVERと並行してソロアルバム作ってたよね
シンシアリーだったっけ? 小田以外が作曲した曲も小田がプロデュースしてたのかね? >>926
結局オフコースが小田さんのバンドだったというのが
大きい、言うなれば、ジョンとジョージハリスンみたいな関係 レス数が950を超えています。1000を超えると書き込みができなくなります。