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日本の奈良時代末期から平安時代初期の古代東北の人物。
名前の正しい漢字は「阿弖流爲」または「阿弖利爲」。
一般的に、大墓公は「たものきみ」、阿弖流為は「あてるい」、阿弖利為は「あてりい」と読まれる。

8世紀末から9世紀初頭に陸奥国胆沢(現在の岩手県奥州市)で活動した蝦夷(えみし)の族長とされる。
史実にはじめて名前がみえるのは、古代日本の律令国家(朝廷)による延暦八年の征夷のうち巣伏の戦いにおいて、
紀古佐美率いる官軍(朝廷軍)の記録中である。
その後延暦二十年の征夷が終結して胆沢城造営中の坂上田村麻呂の下に盤具公母禮とともに降伏し、
田村麻呂に伴われて平安京付近に着くものの、公卿会議で田村麻呂が陸奥へと返すよう申し出たことに対して
公卿達が反対したため、平安京の地を踏まずに
河内国□山で母禮とともに斬られた。