西郷どん(10)「篤姫はどこへ」★5
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3/11 (日) 20:00 〜 20:45 (45分)
【出演】鈴木亮平,北村有起哉,高橋光臣,北川景子,渡辺謙,松田翔太,風間俊介,高梨臨,又吉直樹,南野陽子,【語り】西田敏行
西郷どん(10)「篤姫はどこへ」★4
https://nhk2.5ch.net/test/read.cgi/livenhk/1520765800/ 密偵おなじwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww こいつの演技これしか無いな
金八の頃から成長してない >>11
この時代、僕はかなりキザな言い方
今だと「ミーは○○ザンス」並な言い方 適塾の秀才だからね左内も。
手塚治虫のひい爺さん?の同級生 安政6年(1859年)、大老となった井伊直弼の手により安政の大獄が始まり、春嶽が隠居謹慎を命じられると、将軍継嗣問題に介入したことを問われて頼三樹三郎と共に伝馬町牢屋敷で斬首となった。享年25。 触手攻めは春画にも見られることから江戸時代には既に確立していたんだよね どんな事教えるんだろ
「殿方には、程よく恥じらって見せる事が必要です
断りながら誘う、その術をお教えいたします」
とかかな >>25
幕末から志士の間で流行した一人称なんだよ 「ぼく」「きみ」は吉田松陰から始まって若者に大流行 例のwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww 適塾ランキング
橋本左内>久坂玄機>大村益次郎>>>福沢諭吉 橋本左内キタ━━━( ゚∀゚ )━( ゚∀)━( ゚)━( )━(゚ )━(∀゚ )━( ゚∀゚ )━━━!!!!
この人物を知らないで、幕末を語ってはいけない。
日本史上、重要人物のひとり 西郷隆盛と橋本左内
西郷と左内が共に手を携え、最も活躍したのが「将軍継嗣問題」です。「将軍継嗣問題」とは、江戸幕府第13代将軍・徳川家定の世継ぎに関することを指します。
家定は心身共に虚弱な体質の人物で、一説では言語すらもままならなかったとまで伝えられています。家定が将軍に就任した当時は、欧米列強の諸外国が次々と日本に開国を求めるなど、江戸幕府開幕以来の重要問題が山積していました。
心身共に虚弱な家定に、それら外交問題を解決出来るはずもなく、そのため志ある諸大名・幕閣らは、リーダーシップを十分に発揮出来る優秀な人物を世継ぎ、つまり将軍にすることで、この国難を乗り切ろうと考えたのです。
薩摩藩主・島津斉彬、越前福井藩主・松平慶永ら当時賢侯と呼ばれた大名らは、御三家に次ぐ身分の御三卿である一橋家の当主・一橋慶喜(後の徳川慶喜)に白羽の矢を立て、彼に家定の跡を継がせるべく、運動を始めました。
しかし、それに対抗し、当時まだ10代半ばであった紀州藩主の徳川慶福を跡継ぎに据えようとする運動が、紀州藩の付家老・水野忠央を中心に開始されたのです。
慶喜を擁立する一橋派と慶福を擁立する紀州派は、互いに各方面で激しい運動を始めました。一橋派の中心人物であった慶永は左内を、斉彬は西郷を懐刀として使い、「将軍継嗣問題」に奔走させました。
特に左内は、幕閣対策や朝廷工作にも携わり、広範多岐に渡って懸命な運動を続けました。また、西郷とは互いに連絡を取り合い、互いの藩主の命に従い、慶喜擁立に努力したのですが、二人の運動は、一人の巨人の登場により、大きく阻まれることとなったのです。
それは彦根藩主で大老に就任した井伊直弼です。
安政5(1858)年4月に大老に就任した井伊は、独断で紀州藩の慶福を家定の世継ぎに決定し、慶喜擁立に動いた諸大名や藩士達を一斉に処罰し始めました。これが世に言う「安政の大獄」です。 こえでけえwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww なんか昔の篤姫より屋敷も狭くて貧相じゃね
衣装もショボいし貧乏旗本みたい ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています