八重山人(やいまんちゅ)は、同じ沖縄県に住みながら、沖縄県の県都である那覇に行くことを「那覇に行く」とは言わず敢えて「沖縄に行く」と言う。

八重山は、沖縄本島とは遠く海を隔てており、その文化も歴史も沖縄本島とはかなり違う。
西暦1500年に琉球王朝は八重山の「オヤケアカハチの乱」を平定して八重山を琉球王朝に組み込み、この時代から初めて八重山は琉球(沖縄)になった。
500年前に琉球王朝に逆らって殺されたこの八重山の族将「オヤケ・アカハチ」は、いまだに「八重山の英雄」として島民の尊敬を一心に集めているのだ。
ひと口に琉球(沖縄)になったと言っても、それは現代の市町村合併のような平穏なものではなく、琉球王朝が八重山を武力侵攻によって植民地化したものだ。
さらに、琉球王朝は1637年から過酷な「人頭税」という税を宮古・八重山諸島に課した。この税は、収入や働けるか否かには関係なく、15歳から50歳までの男女一人一人に頭割りに税を課すという悪税だ。
琉球王朝が八重山人(やいまんちゅ)を異民族として見ていたことの証拠である。

八重山と、沖縄県の県庁所在地である那覇とは、実に420km離れている。
一口に420kmと言うが、実は大変な距離で、本土で言えば東京−大阪間の直線距離に相当する。しかも、八重山と那覇とは「海」を隔てている。
こんなに離れたところを同じ「沖縄県」としてひとくくりに考えていいのだろうか?