グリボエードフ 「知恵の悲しみ」(PO44号 特集「郷愁のロシア文学」 昭和61/1986年3月28日発行 )
 この喜劇の扉には次の言葉がある。
「運命は・・・・気粉れな悪戯ものよ
自分で勝手にこう決めた・・・
愚か者には無知の幸福
賢いものには・・・・知恵の悲しみ」
確かに愚かである者には、その無知故に現在の生活に何の疑問も持たず、世間や自分が従っている道徳律に露ほどの疑いも持っていない。
その枠の中で喜び、悲しみ、笑ったり出来ること程幸福なことはないのだ。
ところが賢い者には、その枠が異様な枠として見え、人々が異様な枠に気づかず、その枠に閉ざされて生活していることに満足していることの愚かさに警鐘を打ち鳴らすと、人々はその警鐘を打ち鳴らす人を気違い扱いにし、放り出すのである。
悲劇は、この賢い人が、愚かしい人々と内面的にも固く結ばれていて、放り出すからと言ってその人々を見捨て、心の裡(内)でも何のつながりも持たないというようなことは出来ないことから生じる。
かくして賢いものには知恵の悲しみ、愚か者には無知の幸福が与えられることになるのだ。