>>293
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尼港事件は、基本的な視点は、
日本軍の守備隊がパルチザン軍に夜襲をかけて失敗した第1次尼港事件(1920年3月)と
生き残った日本人がパルチザンによって殺害されてしまった第2次尼港事件(1920年5月)にある
軍部が、守備隊の撤退時期を誤まり、遅延したことが、これほどの惨劇を招く結果となった