0001公共放送名無しさん
2020/09/22(火) 20:39:12.28ID:UCjG8Y/Uhttps://ironna.jp/article/1344
一九八〇年代、朝鮮半島南西部の全羅北道、全羅南道、とくに南道の栄山江沿いに十四基の前方後円墳が次々と発見されました。
前方後円墳は日本に固有のものと考えられてきましたから、韓国の学者はここぞとばかりに、「前方後円墳の発祥地は韓国で、倭国へ伝えられた」と声高に主張しました。
しかし、その主張もほどなく破綻しました。
なぜかというと、日本では岩手県から鹿児島県までの広い範囲で前方後円墳が多数見つかっており、造営された年代も明らかに韓国の前方後円墳より古かったからです。
前方後円墳は日本で独自に発達した墓制(=墓のつくり方)であり、日本(倭国)から朝鮮半島に伝わったものなのです。
ところが、前方後円墳と確認されながら、政治的事情のため「三つの円墳」にされてしまった古墳があります。それが慶尚南道の沿海部固城の中心部にある松鶴洞(ソンハクトン)古墳です。
その原因は、韓国の学者たちの日本から前方後円墳が伝わったなどありえない=認めたくないという極端なナショナリズムと、それに同調する一部の日本人学者によるものです。
韓国では、「日本の文化はすべて韓国から渡来した」と主張する人々がおり、前方後円墳韓国起源説を唱える学者もいますが、現在では、前方後円墳は日本で独自に発展したものであるというのが定説です。