江戸時代に「鎖国」の中で偏狭な「国粋」主義(ウルトラナショナリズム)が高揚された
それが一方では水戸学(儒教)、他方では国学(国文学)として派を立て、明治維新の成立に甚大な影響を与えた
維新の成立後、二派協力して「神道、原理主義」と称すべき国家的イデオロギーを樹立した
その歴史像がその後150年の日本の思想界の基本となっている
それ故に、敗戦後は、表面上、学問・思想の自由の立場から、異説の「公示」や「発表」は認めておきながら
通例これを「論議や論争」の対象にはしない
これが日本史学のプロの専門家にとって、内密の「処世術」となったのである
このような姑息な雰囲気の中で、もし人間精神の独創を求めるならば、いわゆる「木に登って魚を求める」たぐいと言う他はない
日本のウルトラナショナリズム下の歴史像によって「洗脳」されてはいない外国人の、人間としての理性にのみ期待するほかない