>>813
>元亀3年(1572年)9月29日、武田信玄は重臣の山県昌景と秋山虎繁(信友)に3000の兵力を預けて信長の同盟者である徳川家康の領国である三河に侵攻させた。

>三河に侵攻した山県昌景は新たに指揮下に組み込んだ北三河の国人領主で、“山家三方衆”とも呼ばれる田峯城主・菅沼定忠、作手城主・奥平貞勝、長篠城主・菅沼正貞に道案内(実際には貞勝の代将が奥平貞能、正貞の代将は菅沼満直)をさせて浜松方面へ進軍し、

>長篠城の南東に位置する鈴木重時の柿本城を攻撃した。柿本城から逃れる重時を逃亡途中で討ち果たした山県勢は、さらに越国。遠江の伊平城を落として…

西上作戦のウィキより。秋山と山県は途中まで一緒。つか別働隊だからって関係ないだろw 時系列の話してるんだから。

因みに岩村城は西上作戦発動後に武田派によって制圧され信玄配下の下条信氏によって占拠。秋山と織田軍が戦うのは上村合戦だな