前提として、戦国を基準にして言えば、
八万騎の直轄軍を抱える徳川宗家と要所を抑える中堅、中の上の親藩譜代が
外様に対して君臣一体と言う前提だったのが家康以来構築して来たシステムで、
四代家綱の時代には御三家も御政道からは敬して遠ざけ
譜代の疑似内閣の下の旗本官僚としてほぼ完成形になった

だけど、なまじ安定政権が百年単位で続いたから、金融デフォルトのリスクが大きくなり過ぎた
武士の不安定時代なら商業、金融資本もそれに合わせて流動的な前提でリスクヘッジする
だけど、安定し過ぎた結果、譜代旗本の既得権益が半ば未来永劫続く前提で莫大な金融投入が行われていたから
徳川将軍家と言えども大名旗本を容易に動かす事が出来なくなった
譜代勢力が領地共々永劫に続く前提で担保を受けて貸し込んでるのが本間家を初めとした金融資本で、
江戸後期にはどこも財政赤字で金融資本に半ば銀行支配された譜代旗本が幕府機構そのものを担っていた訳だから
明治になって、外様大名含め朝廷の強権発動で「武士の世」を終わらせた為に
武士の権益を担保に貸し込んでいた金融資本が阿鼻叫喚と化したのが朝ドラの「あさが来た」のお話