桐野作人@kirinosakujin

鳥羽伏見の戦い。初日に薩摩方が劣勢ということはない。逆に圧倒していた。しかも、戦闘は夕方から夜にかけて。錦旗の登場は開戦3日目の1月5日のこと。#西郷どん


英医ウィリアム・ウィリスの京都招聘を提起したのは大山巌。
大山は西郷や大久保を説いて兵庫に行き、五代友厚や寺島宗則の協力で、英国公使パークスからウィリス派遣の許可を取り付ける。
薩摩藩主島津茂久が朝廷に歎願書を出し、ウィリスの入京が実現した。
写真は薩藩野戦病院だった養源院
#西郷どん


承前)ウィリスの外科術の特徴はクロロホルムを使った麻酔術。
これにより、患者に苦痛を与えることなく外科手術が行えた。
当時の日本人医師には難しかったメスを使っての切開や切断の施術が可能になった。
西郷信吾もそれによって一命を取り留めた。#西郷どん


承前)ウィリスの入京には公家などを中心に抵抗があったのはたしか。
そればかりか、ウィリスを警固した薩摩藩の野津鎮雄(小銃五番隊隊長)らもウィリスを毛嫌いし、離れて警固したくらい。
しかし、ウィリスの見事な外科手術により、そうした偏見を払拭するきっかけとなった。#西郷どん


承前)西郷信吾(のち従道)の頸部貫通銃創は重症だった。
同僚の中村半次郎が「信吾どん、おいが介錯して楽にしてやる」といったくらいである。
ウィリスはその後、戊辰戦争が北に移るにつれ、北越や会津の戦場で敵味方の別なく負傷者の治療を行う。
会津では700名の会津兵を治療したという。#西郷どん