桐野作人@kirinosakujin

承前)明治になってから、ウィリスは西郷によって鹿児島に招かれる。明治政府がドイツ医学を採用したため疎外されてしまった。
ウィリスは破格の条件で鹿児島医学校に勤務、病院長にもなった。
同医学校はのちの鹿児島大学医学部の前身。写真は同医学校(赤倉と呼ばれた)の跡。
#西郷どん
https://i.imgur.com/RALBQMi.jpg


このドラマで西郷信吾(のち従道)の立ち位置には違和感あり。
人道的だった兄吉之助が戦争の鬼に変わっていくのにブレーキをかける役だがどうか? 
戊辰戦争で信吾は北越戦争に従軍、秋田で庄内藩とも戦うなど、けっこう好戦的。明治になると、台湾出兵で大久保の制止を振り切って強行。
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承前)西郷従道を平和主義者にするのは不適格だと思うけど。
台湾出兵の強行後、大久保利通が北京談判に臨むが難航。
国内では日清開戦論が湧き起こる。そのとき、従道は台湾出兵の勢いを駆って、交渉決裂と同時に厦門(アモイ)あたりに侵攻すべしと主張。
う〜ん、人選間違えたのでは。
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西郷信吾重傷の追加。
信吾は頸部貫通銃創を負い、半月くらい生死の境をさまよう。
ウィリス招聘の前に薩摩藩は長州藩に医師派遣を求めている。
『広沢真臣日記』慶応4年1月20日条「薩西郷信吾深手重症に付き、病院医師診察頼り越しに付き」云々。
長州藩医が信吾の治療にも駆けつけた模様。#西郷どん


久しぶりに天璋院(篤姫)が登場。政府軍が江戸に迫るなか、天璋院が老女幾島を派遣したのは事実。
幾島は川崎宿で東海道先鋒総督府軍の薩軍本営に入り、隊長の相良治部(小松帯刀の実兄)が応対。
「隊長え」とある天璋院親書は薩摩藩関係者に見てもらうことを想定し、泣かせる内容である。
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承前)天璋院親書には「私が徳川家に嫁した以上、当家の土になるのはもちろん、温恭院(亡夫将軍家定)のためにも当家の安全を図るのが自分のつとめ。
それを果たせねば、地下で温恭院に面目がない。私の一命に代えても、徳川家の存続を認めてほしい」と嘆願。
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ドラマでは西郷が天璋院に江戸城内と思われる場所で会っているが、さすがにそれはない。
まだ江戸城内に入れるはずなく、身分上の問題で天璋院とは会っていない。会ったのはあくまで老女幾島。
天璋院親書を読んだ西郷は「このようにご苦労遊ばされるとは恐れ入ります」と涙を流したという。
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