町田 明広@machi82175302

「西郷どん」36回目を拝見!本日は鳥羽伏見の戦いがメインで、一気に江戸無血開城の直前まで行きましたね!とは言え、開城前に西郷は江戸城に入っていましたが(^^) 勝海舟の江戸っ子の啖呵が気持ちよかったかも。  #西郷どん


最初に、王政復古クーデター後の流れを振り返っておこう。
取り敢えず、西郷の大胆な行動によって、あくまでも慶喜排除を目指す岩倉具視・西郷派が小御所会議で勝利したものの、旧幕府・慶喜を擁護する山内容堂・松平春嶽派の巻き返しは想像以上のものであった。#西郷どん


慶喜は山内容堂の巻き返し工作に期待し、また、会津藩の暴走を恐れ、そして態勢の挽回を図って二条城を後にして12月12日に大坂城に下った。
慶喜は12月14日、助力を求めるためフランス公使ロッシュと会見した。#西郷どん


慶喜は12.9政変を非難し、天皇に対して新政府を承認しないように求めると主張した。
16日にはロッシュの助言を踏まえ、慶喜はイギリス・フランス・アメリカ・オランダ・プロイセン・イタリアの6国公使らを引見した。あくまでも日本国の主権者たる態度であった。#西郷どん


慶喜は6国公使に、大政奉還より王政復古に至る経緯を説明し、政変が不当であるとして内政不干渉を求め、旧幕府が通商条約を順守して外交を掌ることを言明した。
慶喜は、旧幕府こそ日本の正当政府であると列強に認めさせることを狙ったのだ。#西郷どん


また、慶喜救済に賭けた山内容堂の活躍は、それまでの不誠実な容堂とは比べ物にならず、その尽力によって慶喜を議定に就任させ、辞官・納地もなし崩しにすることがほぼ確実になった。
薩摩藩・西郷の敗北は、目前に迫っていた。
ここで、結果として起死回生の出来事が江戸で起こった。#西郷どん