>>257

町田 明広@machi82175302

その後、新政府軍は江戸を目指して進軍を開始し、西郷は東征大総督参謀、つまり、実質的な軍事責任者として参軍し、3月3日に駿府に到着した。
既に静寛院宮(和宮)や天璋院(篤姫)らの江戸城攻撃中止と徳川家の存続の嘆願書が寄せられていた。#西郷どん


西郷は当初、慶喜は断罪にすべきであると主張していた。
そこに、旧幕府の若年寄格・陸軍総裁、勝海舟の使者として山岡鉄舟が現れたため、7日に会見に及んだ。
西郷は、山岡の態度に感銘したこともあいまって、江戸城明け渡しなどの絶対恭順を条件に、慶喜助命・徳川家存続を約束した。#西郷どん