そもそも、真田は秀忠をコテンパンにはしていないよ
関ケ原の戦いに間に合わせなくするために足止めするのが目的なんだから

秀忠が中山道を通って上田城に着いたら、あっさり「降伏しますから許して」と告げる
秀忠は安心
ところが翌日になって「昨日は降伏すると言ったけど、あれはウソだよ〜ん」と挑発
秀忠激怒、「そんなら上田城を落としてやる」とムキになって猛攻撃
家臣たちは「ほっといて先を急ぎましょう」と忠告するも、秀忠は聞き入れない

やがて、徳川家康が「関ケ原で石田三成とにらみ合っているから早く来い」と秀忠に使者を出すも
悪天候のため使者が上田城にたどり着くまでに時間がかかり、
その間、秀忠はムキになって上田城を攻めるも、防備が固くてなかなか落ちない

ついに使者が上田城に着き、秀忠はようやくあきらめて急いで関が原に向かう
ところが、秀忠が着いた時には、もう関ヶ原の戦いは終わっておりました〜チャンチャン
徳川家康は「顔も見たくない」と秀忠と会うことすら拒否

これが原因で、上田城は破壊されることになってしまい、真田は加増されたもの松代藩に移転