何故、紹運や道雪は宗麟を裏切らなかったのか?
吉弘は大友氏庶流であり、戸次も大友2代親秀の二男重秀を養子に迎えて、大友氏の庶流であったので、
血が繋がっていたこともあるが、他の裏切った家臣たちも多くはそうであるのに毛利などに寝返った。
宗麟は耶蘇教信者に成り下がり、神社仏閣を破却せしめた。
正室の奈多夫人は、八幡奈多宮の大宮司・奈多鑑基の娘である。
高橋紹運(吉弘鎮理)、立花道雪(戸次鑑連)は何故、このダメンズ宗麟に最期まで付き従ったのか?
特に紹運の死は壮絶すぎる。岩屋城の戦いでは一人の脱落者も出さず763名全員玉砕。

これに感動できん奴らは日本人じゃない。
大河の本線はこういうの。こういうのじゃないと伸びはない。アキラメロン