紹運は忠義に厚い武将で、島津が幾度も降伏を求め使者を遣わしたが、

「主家が隆盛しているときは忠勤に励み、功名を競う者あろうとも、
主家が衰えたときには一命を掛けて尽くそうとする者は稀である。
貴方自身も島津の家が衰退したとき主家を捨てて命を惜しむのか。
士たる者の仁義を忘らざるは鳥獣に異ならず」と言って使者を追い返した。

紹運の主君は大友宗麟であり、戦前軍部が宗麟を天皇に見立て、
天皇(主君)への忠誠を示す例として、岩屋城の戦い、全員玉砕を取り上げて
戦意高揚の一助とした。

戦後、GHQが、戦前紹運が一億総玉砕の標語創出の元だとして紹運の玉砕に関わる
情報の遮断を命じた。教師たちは尤もなこととして、批判もなくそれを受け入れた。

つまり、戦前岩屋城の戦いが軍部に利用された一点を持って、教師たちは教材としては
相応しくないとして切り捨てたのである。一歩外へ出れば、いつ殺されるかわからない
という生死が不安定な戦国武将たちの生き様を、軍部どもが貶めたことを非難するのが
先であるべきはずなのに、である。

教師どもは、利用されるようなことを仕出かした紹運をも、軽蔑の対象としたのである。

軍部どもには利用され、GHQからは貶められ、教師どもからは軽蔑されたのである。