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留守政府の内紛激化で、渋沢は大蔵大輔の井上馨とともに大蔵省を辞めてしまうが、そのあと、
大隈重信とは大激突してしまう。横浜の英字新聞に日本財政の危機を訴える文章を投稿して、
(つまり維新政府の本当のふところ具合を暴露して大騒動に発展し)大蔵省事務総裁・参議の
大隈が混乱の収拾に当たることになる。大隈は怒り心頭だったろう。
いまもむかしも積極財政派と財政健全化派との対決が激しいことだけはちっとも変わってない。