こんな「麒麟がくる」は嫌だ!
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吉本のオリキャラが不評すぎて途中降板
しょーもない死を迎える 毎回逮捕者が出るので、アニメにしたら声優にまで逮捕者がでたが、吹替は簡単だった。 織田信長=NHK
明智光秀=立花孝志
豊臣秀吉=高市早苗 >>35
いのち は歴代視聴率10位の29.3%という高視聴率ですけど。
歴代ビリの8%台のいだてんといっしょにするなと橋田寿賀子が文句を言ってくる >>62
はっきり言っていのちよりいだてんの方が面白いんじゃね? 織田軍に強制的に併合された光秀軍が
反乱起こして勝っちゃう話だよね
戦勝国のウリナラファンタジー 信長jはー
1000年許さないぞー
とりあえず殺した後は考えてない 光秀軍も信長にくっついてたから
殺されずに喰ってられたのに
自からそのメリットを殺しちゃった つまり光秀の善政とやらも
信長の庇護があったから
麒麟を殺したのは光秀その人だった 沢尻がLSD染み込ませた紙片多数と液体LSDも所有してた
ゴジラが来たー >>41
斎藤道三の座右の銘が「短気は損気、急がば回れ」 赤マフラーを巻いた斎藤道三がおにぎりを食べながら宋剣を信長に託す 初回は放送時間拡大されたのに最終回は拡大なしで終わる 本能寺に狂暴な麒麟を放ち
信長を踏み殺す。 その後中国大返しを麒麟の大群に妨害され
秀吉も麒麟に食われ死亡
明智幕府の時代へ 秀吉にサルと徒名をつけたように光秀でにもキリンと徒名をつける信長 織田信秀が絶倫のマッチョマン
しかし昼間はドジでオドオドした小心者を演じてる 過去の糞大河=海賊王
現在の糞大河=脱税王
来年の糞大河=麻薬王 撮り直しの手間を節約してアップさえ映さなければ良いという考えで
差し替え出来なかった沢尻が出ている場面が毎回出てきて
ドラマそっちのけでその場面だけが話題になっていく >>95
忘れてるかもしれんが、今年の大河にも麻薬王がいたんだぞw 大地震が起こり特番で放送は中止され「地震がくる」になる n ./))
r‐┘イレk(_
.’,g`.器├┘Yヽ ほんとうに麒麟がくる
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∠ ヲ ∠ ヲ {_ イ 最期、白い麒麟の姿になり天高く飛び立って去って行く光秀 >>109
光秀の死後、妻はマラソンランナーと再婚する 視聴率テコ入れのため、毎週くノ一忍者のおっぱいシーンがある NH局内の自販機から午後の紅茶を追放
POKKAに入れ替え 視聴率のてこ入れのために毎回濃姫が悪者に捕まって襲われそうになる キリスト教の宣教師が麻薬を使って洗脳工作を仕掛けてる どんなに低くても視聴率は話題にならず
青天が大河存続の試金石になる >>125
信長も光秀も中毒になってたから
理解不能な行動に出た 麻薬欲しさに信長を襲った光秀
しかし燃えてしまって
宣教師もやってこない 天海が真っ先に死ぬ展開に
用意していた補欠の岡村が代役となる ナレーションがちょくちょく国から2億円を毎年貰っていることを自慢し出す 斎藤道三が東京の青空に描かれた巨大な五輪のマークを見上げて「がいじゃの〜!」と叫ぶ >>138
道三が信長を見て、なぜか「あにさん!」と呼ぶ 大河法界の危機を招いた、いだてんの残党狩りを始める織田信長。 「まったく延暦寺の糞坊主どもよりも悪質じゃ!」 BE MY BABYの曲にのり
信長の前でダンスをする帰蝶 今までの大河になかったと思うが
光秀軍が山陰道を本能寺に向かって進軍中に目撃者を切り捨てる
(歴史探偵調べ) 進軍中の目撃者がいたって
携帯電話がある時代じゃないし
そこまでする必要ないはず 建築史家の長谷川堯さん死去 俳優・長谷川博己さんの父
建築史家、建築評論家で武蔵野美術大名誉教授の長谷川堯さんが 4月17日、がんのため死去した。
81歳だった。
葬儀は近親者で営んだ。
後日、お別れの会を開く予定。俳優の長谷川博己さんは長男。
島根県出身で、早稲田大文学部を卒業。
近代建築の記念碑性、合理性を疑う論考で知られ、
72年に著書「神殿か獄舎か」で建築界に衝撃を与えた。 村野らによる豊かな細部を備えた建築や都市の評価に力を尽くした。
日本建築学会賞のほか、「都市廻廊」で毎日出版文化賞、「建築有情」でサントリー学芸賞を受けた。
https://www.asahi.com/sp/articles/ASM4M5CMQM4MUCLV00C.html 山口近代建築研究会
長谷川堯先生を偲ぶ会に出席
東京で行われた「建築有情〜長谷川堯先生を偲ぶ会」に出席してきました。
会場は、国際文化会館( 前川國男、坂倉準三、吉村順三の3人の設計による近代モダニズム建築/1955年)。
藤森照信氏のあいさつに続き、長男の俳優、長谷川博己さんがあいさつ。
その中で、長谷川先生が晩年体調が悪いにもかかわらず、
「父は宇部市文化会館の80周年にはどうしてもいかなければいけない」
と言われていたそうで、講演後に入院されたとのこと。
つまり私たちの実施した80周年記念事業での記念講演は、長谷川先生にとって最後の講演になった、
また先生は体調不良を押してまで宇部に来られたわけで、私はこの話に心から感動を覚えました。
振り返って思いを強くしたのは、やはり私たち「まちよそ&山口近代建築研究会」で、いつか何らかの追悼イベントを行わなくてはいけないな、ということです。
この偲ぶ会では、その他にも皆さんに伝えたい話が多々ありました。次回研究会で改めてお話ししたいと思っています。
長谷川先生、安らかにお眠りください…。
長谷川堯先生を偲ぶ会に出席
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