弘治4 永禄元(1558)年 

1/1  朝廷 後奈良天皇の諒闇のため四方拝 小朝拝 節会などが停止
(続史愚抄)(御湯殿) 
1/27 織田信長 加藤資景へ商売に関しては以前与えた判形通り
    織田信行誘殺に関する戦乱にあたり加藤資景分の知行は代々免許の通りに安堵
     (加藤秀一氏所蔵文書『張州雑誌抄』二十六)
2/3  細川晴元の子 聡明丸 攝津芥川で元服 信良(昭元)と称す 
    三好長慶が加冠(細川両家記)
2/5  松平元康 初陣 今川氏の要請により初陣(家忠日記増補)
2/23 多賀谷重経 下総国に誕生
2/28 朝廷 「永禄」と改元 高辻長雅 年号選出 出典群書治要巻26(言継)(御湯殿)
3/7  織田信長 今川義元の将松平家次と尾張品野に攻撃して敗れる
    (家忠日記増補)(信長公記)
3/13  将軍足利義輝 細川晴元と近江朽木より下龍華に還る(惟房公記)
5/3  将軍足利義輝 細川晴元 六角義賢ら近江朽木谷下龍華から兵二千を率いて
   京都に向かうため近江坂本本誓寺に陣を移す(細川両家記)(言継)
5/7  三好長慶の被官藤岡直綱 東寺の宝厳院裕重 観智院栄盛に足利義輝の
   入京に備えての三好軍の配置を通告する 
   東寺には陣所を設置しないと伝えたが実際は長慶が東寺に陣した(東寺百合文書)
5/9  幕府 山城清凉寺に禁制 (清凉寺文書)
5/11 吉田兼右 若狭守護武田信豊に「式三番」の秘事を伝授(兼右卿記)
5/19 三好長逸 松永久秀 伊勢貞孝父子ら一万五千の兵を率い京都で打廻りを行う
    (惟房公記)(御湯殿)
5/20 山城鞍馬口 火災(言継)
5/23 斎藤義龍 治部大輔 昇官の礼文
   「みのさい藤治部大輔より御れう所 又一官のれい文」(御湯殿)
5/26 分部光高 国府市場口の合戦に於いて戦功をたてるも負傷す(分部文書)
5/28 織田信長 尾張浮野に織田信賢 斎藤義龍の軍を破る (信長公記)
5/28 長野藤定(伊勢豪族)部下の分部光高「分部左京亮」へ国府市場口に於ける
   合戦で戦功をたて更に戦傷を負ったことを褒賞し養生を命令(分部文書)
6/2  足利義輝 京都上京室町に禁制 (京都上京文書)
6/2  三好長逸ら 山城勝軍山に築城 足利義輝らの入京を防ぐ (惟房)
6/4  足利義輝 細川晴元と共に如意嶽へ出陣 三好長逸ら山城鹿ヶ谷で
   義輝晴元の軍と戦う (御湯殿)
6/7 長逸ら 北白川勝軍山城を焼き京都に撤退する 義輝の軍 同城に陣を移す (惟房)