いかほどに大きな国であろうと信長はひとつの全体を、静止した目標を目指したのではなく、
彼の生の様態は超越、限界の越境、Transzendenzを目指していたかのような行き方だ。
ならば信長だけでなく同時に明智光秀も歴史から(信長の留まることなき疾走からも)要請された人物だったかもしれない。
であれば大河が彼を描く意義があろうというものではないか