木戸孝允(桂小五郎)が主人公の大河ドラマを熱望するスレ2
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●イケメン
●長身(174cm)
●江戸有数の剣の使い手(江戸三大道場の一つ練兵館の塾頭)
●長州を代表する志士と京都きっての美女(のちの夫人)との身分差を超えたロマンス
●潜伏時代の冒険とサスペンス
●吉田松陰の愛弟子にして親友
●山鹿流軍学、洋式砲術、洋式兵術、造船術、蘭学などを修めた秀才
●英語も堪能だった
●長州藩の若きリーダーにして兄貴分的存在
●維新の三傑の一人
●少年時代はいろいろと不孝
●晩年は病弱で夭折
など、盛り上がり必至のエピソードに事欠かないミスターパーフェクトこと木戸孝允a.k.a.桂小五郎さんが主人公の大河ドラマをひたすら待ちましょう。
前スレ
木戸孝允(桂小五郎)が主人公の大河ドラマを熱望するスレ
https://nhk2.5ch.net/test/read.cgi/nhkdrama/1612679362/ >>719より
木戸孝允というひと
木戸は残された写真を見てもなかなかのハンサムで、背が高く、当時人気の高かった江戸三大道場で塾頭を務めた著名な剣士である。
女性にもすこぶるモテただろうし、男性に憧れられた存在であったに違いない。人懐こく、面倒見が良く、親切だとあらゆる後輩に慕われ、
また山内容堂や周布政之助、幕末長州藩で大阪藩邸の責任者だった北条瀬兵衛こと伊勢華が上京の際には木戸のそばから離れない様子から、
年長者にも愛されていたことがよくわかる。ひねくれたり、ねじれたりしていない木戸は、むしろ感情の起伏を平気で周囲に見せて頓着しなかったので、
たまたま居合わせた人には、怒りっぽい、感情的とも捉えらえたようだ。
http://www.iwakura-mission.gr.jp/archives/4016 そういえば昔NHKの歴史番組で桂を扱った時に明治に発売した木戸のブロマイドがすげえ売れたって言ってたな >>866
木戸の死の直後の明治10年7月に国民に販売された「日本最初(?)のブロマイド」と言われてる物ね
「汎く商店にまで販賣せられ、人々其の風丰を慕ひ、洽く偉勳が傳へられた」──『木戸松菊公逸話』
https://pbs.twimg.com/media/DgwYA58VMAAbq-m.jpg >>864
前に民放の歴史上の人物を探る的な番組でやってたのよ
幾松が見廻り組に厳しく折檻された話。
演者は適当で、その番組の話もたいした信憑性ないんだけど
もしそういう描かれ方するなら新川優愛あたりでとw >>>867
じゃっかん意味の取りやすい字句に置き換え
「広く商店にまで販売せられ、人々その風貌を慕い、あまねく偉勲が伝えられた」
つか、堀田真由は今の大河に出てるんだな
見てないから知らなかった >>869
連行はあったかもだけど折檻は話盛ってるな 「逃げの小五郎」つうか、遭難するとみんな逃げるんだが逃げきれずに殺されるんだなあ
木戸は剣術がめっぽうできたから逃げきれただけで ねとらぼの記事を見るたびに思うが、総投票数が400無いランキングで論じられてもなあ。せいぜい母集団の嗜好くらいでしょ。どんな母集団か知らないが。
これが日本人の人気だと言われても説得力がない。 今まで木戸がこういうアンケートで1位になることはまずなかった
ま、小さな一歩やな
ここからここから > 逃亡を続けた木戸孝允は“逃げの小五郎”などと不名誉な呼び名で呼ばれ
桂小五郎は「逃げの小五郎」と呼ばれていたことで有名です。「池田屋事変」では、彼が危険を察知して出かけた後に新撰組が乗り込み、結果的にその場にいた攘夷派のほぼ全員が捕殺され、「蛤御門の変(はまぐりごもんのへん)」では1度は新撰組に捕らえられたものの、便所に行きたいと頼んでそのまま汲み取り口から逃げるなど、ギリギリのところで危機を回避しています。このような出来事から「逃げの小五郎」というあだ名がついた。 『逃げの小五郎』(にげのこごろう)は、司馬遼太郎作の短編小説である。禁門の変(1864年)から長州藩復帰(1865年)までの間の桂小五郎を描く。短編小説集『幕末』に収録されている。
これ原作でドラマ化早よ 幕末の志士、桂小五郎、のちの木戸孝允。
ことある時は、ひたすら身をかくした。
「逃げの小五郎」たる所以である。
その小五郎も、京都守護職会津藩士の警戒網に引っ掛かり、進退窮まったことがある。
十数名の会津藩士に囲まれ、藩邸に連行されることになった。
万事休す。
鴨川の河原に近付いたとき、小五郎に一計がひらめいた。
なんと、ウンコがしたい!と言い出したのだ。 ウンコなら藩邸に着いたら、たっぷりとさせてやる、と会津藩士。
「いや、ガマンできぬゆえお願いしておる」と腹を押さえて、しゃがみこむ。
これには会津藩士も困りはて、しぶしぶ、
「仕方がない、ヤレ」
小五郎は河原の崖っぱなで、悠々と着物をまくり、排便におよんだ。
会津藩士は武士の情けで顔をそむけて、用を足すのを待った。
ところが、これがいけなかった。
その刹那、小五郎は、いまだ、と逃げ出した。
「しまった」と追う会津藩士は刀槍を手にして、具足を身につけているから
足が遅い。小五郎はといえば、尻をむき出しの、これ以上ない“軽装備”
まんまと逃げおおせた。
この“垂れ逃げ”のおかげで小五郎は明治まで生き延び、木戸孝允となり
歴史に名を残す。
ウンの良い男ではある。 この木戸叩きの粘着キチガイの執念はなんなのか
なかなかここまでしつこい人もいない >>878
木戸の人気は少しずつ上がってるのかな
叩きの効果なし 大久保が好きなファンが必死に食らいついてるとか、何だか平和だな 明日の甲子園決勝は長州の英雄「世良修蔵」の弔合戦
「世良修蔵」の仇を取ってほしい 下関国際高校
2022第104回夏季甲子園大会メンバー
1名が山口県内中学の出身選手です。
山口県以外の出身中学選手の内訳です。
兵庫県 5名
広島県 4名
福岡県 4名
大阪府 3名
和歌山県 1名
山口県出身が1人じゃ世良修蔵の仇はとれんわw 仙台育英高校
2022第104回夏季甲子園大会メンバー
9名が宮城県内中学の出身選手です。
宮城県以外の出身中学選手の内訳です。
山形県 3名
岩手県 2名
青森県 1名
福島県 1名
大阪府 1名
広島県 1名
奥羽列藩同盟は強かった スクールランブル化まだ? 08/23 08時05壺 まじで下関国際に令和の木戸みたいなピッチャーがいた。どんな時でも笑わず、喜ばず、
あまりに不愛想なんでチーム内でもういているらしい
木戸孝允というひと
人懐こく、面倒見が良く、親切だとあらゆる後輩に慕われ、
(略)
ひねくれたり、ねじれたりしていない木戸は、むしろ感情の起伏を平気で周囲に見せて頓着しなかった
http://www.iwakura-mission.gr.jp/archives/4016
新島襄 「彼の態度は大変紳士的で嫌味がありません。私は食卓で彼と談笑して、恰もアンドヴァーの倶楽部で仲間の学生と話ししているかのやうに振舞いました」
後輩に対して、非常に親切であった。木戸の家では、彼の在宅日には10人位が集まって夜食をとるが、その時はさまざまな料理が提供されていたと有地品之允が回想している。
山内容堂とは維新後に意気投合し、飲み友達になっていた。
大隈重信「木戸は洒々落々とした所があって、思ったことは何でも喋舌ると云う風であるから、(中略)木戸は詩も作れば歌も詠む、風流韻事は頗る長じて居って、遊ぶとも騒ぐとも好きで陽気であった」
大隈重信「木戸公の容貌風采は立派で、一見して一個の勇者堂々たる偉丈夫であった。剣客斉藤弥九郎の門人で、文明的頭脳、立憲的思想、聡明なる天資に加ふるに欧米視察の実験を以てして、才幹鋭敏、気性洒落、君国には誠忠を尽くし、知人には情に厚く、人に接するに城府を設けないが、その代り感情が激しく、喜ぶこともあれば怒ることもあった」
大隈重信「我輩の如き年下の後輩、しかも一介の書生を非常に愛して、多少我輩の意見を行うに就て、その功を為さしめたのは真に公の賜である」
伊藤博文「(安政年間)当時は江戸に出て各藩の人と交際をするのが第一の学問であった。長州人の中で交際の広いことは木戸公の右に出づるものはなかった」
板垣退助「私は木戸公と長い間の交際であったが、実に品格の良善なる人であって、終始機事を処理するに慎重であって、すこしも軽卒なところがなく、諸物に聡明で、温情に敦厚(とんこう)なる性質であったことは、常に敬服して忘れられないのである」
松平慶永(春嶽)「大久保は(中略)、物が言いがたいが、木戸は(中略)、話を聴くことが上手であった。大久保は一向面白みのない人であるが、木戸なら誰でも話ができる」
西園寺公望 「木戸は書生風の気軽な人で、書生に人望があった。文人趣味があって、奥原晴湖などを呼んで、詩筵や画筵を敷いたりしてね、なかなかしゃれものであったし、また誠に親切な人であった」
江川英武「公を訪問いたすと、常に貴賎の別なく、多くの人々が参っていたが、悉く之に面会し、自ら低くして能く各の話を聞き入れらるのは、まことに度量の広いことであったと思うのである」
江川英武「木戸公は丈高く骨格が逞しく、初対面の即時には、怖くて恐ろしい八釜しい人の如く見えるが、段々容態を窺うと、あたかも夕日の如く温かであって、談話を聴くと、時理が明晰で、赤誠を各人の胸中に置かれるように懇切である。私は大久保公にも面晤したことがあるが、何か黙々として気六ヶ敷い人のように感ぜられた。公は骨格が偉大であっても、その温容は一見して決して忘れないのである」
三浦梧楼「木戸は非常に情誼に厚い人であった。他人の不義理、不人情の目にあったことでも、さながら我身の事のように憤ったものだ。常に「自分は早く親を失ったから、人の親を見ると懐かしい」と言って居った。コンナ人情の深い人であった」
アーネスト・サトウ 「その日、私は有名な木戸準一郎(別名・桂小五郎)に初めて会った。 桂は軍事的、政治的に最大の勇気と決意を心底に蔵していた人物だが、その態度はあくまで穏和で、物柔らかであった」
アレクサンダー・フォン・ヒューブナー伯爵(オーストリアの外交官・政治家) 「これほど強烈に精神の力を感じさせる風貌に、私はこの国でかつて出会ったことがない。彼がものをいうとき、その表情は独特な生気をみなぎらせる。(中略)一見して非凡な人物であることがわかるのである」 木戸孝允。幕末までの名は、桂小五郎。
人呼んで「逃げの小五郎」。
よくもまあ、これだけタイミングよく逃げられたと思うくらい、彼の一生はラッキーだった。
その小五郎も、進退窮まったことがある。京都守護職の警戒網に引っかかり、10数名の会津藩士に囲まれて藩邸に連行されることとなった。 ああ、命運ここに尽きたか。 ところが小五郎、鴨の河原が見えてきた頃、突然腹を押さえて「ウンコがしたい」と言い出した。「ウンコなら、藩邸に着いてからゆっくりさせてやる」と言う会津藩士に、「いや、どうにも我慢ができないから、お願いしている」と身をよじる小五郎。さすが、鬼と呼ばれた会津藩士も、しぶしぶ、「やれ」。 小五郎、河原の汀で悠々と着物の帯を解き、尻をまくって、しゃがみこむ。うんムっ、ムリムリムリっと、尻から太いウンコが。…よほどあさましかったのか、よほど臭かったのか、「武士の情け」とばかりに会津藩士は顔を背ける。ところがここが小五郎の付け目。
隙を見て、尻も拭かずに脱兎のごとく駆け出した。あわてて後を追う会津藩士。ところが槍と具足の重装備。尻剥き出しの小五郎、逃げ足の速いこと、速いこと。あっという間に、雲を霞と逃げおおせた。 やったね。 維新の元勲木戸孝允は、こうして誕生した。徳川幕府によって捕らえられ、刑死した師・吉田松蔭とはえらい違いだ。 木戸孝允が桂小五郎だった頃を調べたことあるけど面白いね
絶対に大河ドラマ化できると思うのに、なぜ大河ドラマ60年の歴史でやってないんだろう
是非2025でなくてもいいから見たい 「垂れ逃げは桂小五郎の発明」と、明治のジャーナリスト伊藤痴遊は 『維新十傑』に書いている。 キチガイ木戸叩き 通称「大久保おじさん」 除け推奨NGワード集 暫定版①
逃げの小五郎
垂れ逃げ
うんこ
ウンコ
ウンの良い男
世良修蔵
朝鮮
韓国
在日
半島 >>919
>>413
>「長州大河推進12か年計画」
>5年以内に木戸大河
>6年目から7年以内に高杉大河
「長州大河推進12か年計画」
5年以内に木戸大河(2025年~2027年)
6年目から7年以内に高杉大河(2028年~2035年) >>919
理由は知らんが薩摩に比べて長州はひどく人気がない
薩摩=西郷もオワコンみたいだから長州はなおさらない >>925
何でだろうな
花燃ゆのから10年位経つからそろそろ長州を見たいんだが
桂小五郎を描けば、幕末の魅力的な志士が絡めやすいし
三傑で自分の上司にするなら誰がいい?
大久保 利通 20%
西郷 隆盛 20%
木戸 孝允 60%
64票・最終結果
8:20 - 2022/08/24
https://i.imgur.com/IiQXoQJ.jpg
>>925-926
キチガイ木戸叩き大久保おじさんの独り語り猿芝居きっも お前が長州を叩けば叩くほど、薩摩を持ち上げれば持ち上げるほど、長州の人気は上がり、薩摩の人気は堕ちる仕組みw
頑張れよ、キチガイw
ありがとなw 桂さんの特技は逃げることだ。
『逃げの小五郎』の異名も持っている。
桂さんは斬り合いになったり、斬り合いになりそうだったら、すぐに逃げ出してしまうという習性があった。
桂さんの逃げるテクニックは本当に凄い。
そんなんで本当に逃げれるの!?というテクニックまで持っている。 『逃げの小五郎』の異名を持つ桂さんも、あるときついに会津藩の人たちに捕まってしまったそうだ。
桂さんはきっと「ああ、ボクの人生終わった・・・」と思った事だろう。
しかし、桂さんはあきらめなかった。 会津藩邸に連行されている途中、突然桂さんの様子がおかしくなる。
会津藩士は「どうした?」と尋ねると、桂さんはこう言ったのだ。
「うんこがしたい!」
ドあほ!今の状況わかってるのか! 緊張して、お腹ぴーぴーになる気持ちはわかるが、今から死ぬかもしれない状況で「うんこがしたい」って普通、言うかね?
会津藩士もそりゃ、びっくりした事だろうが「藩邸につくまで我慢しなさい」と言ったようだ。
そりゃ、そうだ。
しかし、桂さんはお腹を押さえて脂汗なんかも流しながら「ハア?我慢できないから言っているんだよ?我慢できればこんな事言わないよ!」とまさかの逆ギレ。 会津藩士も、逆ギレしてまで大の大人が人前でうんこするなんて、相当漏れちゃう寸前なんだろうと思ったのか、「しょうがないなあ」と言って、桂にうんこさせちゃうのだ。
ズボンを降ろしてうんこを始める、桂さん。 あまりにも臭かったのか、あまりにも脱糞が衝撃的すぎて見ていられなかったのか、わからないが思わず顔を背ける会津藩士たち。
その瞬間に猛然と駆け出す、桂さん。
『逃げの小五郎』という異名があるだけあって、桂さんの逃げ足は早かった。
会津藩士たちから逃げ切ったのである。 しかしまあ、「うんこがしたい」で騙す方も騙す方だが、騙される方も騙される方だ・・・。
そして、この後桂は薩長同盟を結び、新しい日本を築く事になる。 もし、桂さんがうんこしたくなかったら、明治どころか、薩長同盟も結ばれていなかったかもしれない。
ある意味、うんこが明治を作ったのだ。 小学校でうんこをしたら高確率でうんこマンとうんこ関連のニックネームをつけられ、いじめられてしまうかもしれない。
そんなとき、是非とも「桂小五郎のウンコは新しい日本を作ったんだ!」と胸を張ってほしいと勝手に思うのである。 >>926
機会主義的に立ち回った薩摩に比べて長州はいろいろ飲み込みにくい行動があったのが尾を引いてるきらいはあるだろう
木戸は政府批判の後病気でフェードアウトてのがドラマにしたときにまとめにくいだろうな
同じように中折れの政宗もちょっとイラッとするし >>940
キチガイに真面目なレスすんな
ほっとけ >>940
長州は「たとえ勝てる可能性がなくとも「血と汗と友情」で」
松陰先生からずっとそう
薩摩は「絶対に勝てるいくさしかしたくない」
君の言う「機会主義」とはこれだろう
長州はジャンプのバトル漫画の主人公のような “友情・努力・勝利” のヒーローなんだよ
薩摩は主人公チームの一員の仲間内ではいちばん強いけど、スカしたイケメンキャラ
二言目には「フッ」とか言う奴 東大教授がおしえる さらに!やばい日本史
監修:本郷和人/著:滝乃みわこ/作画:和田ラヂヲ/作画:横山了一
990円
あらすじ
人は、必ず、なにかしら「やばい」
告白してきた男性を凍死させる小野小町、
信長をめぐり殺人事件に発展する前田利家、
うんこをするフリをして脱走した桂小五郎、←←← これw
だまされてアメリカで奴隷になった高橋是清
……など、
日本史の偉人37人のエピソード
歴史がきっと好きになる!
※もちろん「すごい」も学べます
ジャンル
人文・社会科学
人文・社会科学 その他
出版社
ダイヤモンド社 桂小五郎
新撰組に同行を求められた時、「脱糞するふりをしてして油断させその隙に逃げた」などのエピソードを、本人自らが語っています。
幕末人物セレクション〜桂小五郎
脱糞するふり・・・うん、まあそういうことにしといてあげましょう。
出ちゃってたらそれはもう「ふり」じゃあないんですけどね。
木戸孝允 こと 桂小五郎
お腹弱そうな顔・・・? クックック
無駄だぞw
キチガイアンチが下品な木戸叩きをすればするほど木戸の人気は上がるw
ほかの志士や政治家への反感が高まるだけw
お前の叩きに木戸の人気を下げる力なんてないw
むしろ逆w
毎日ご苦労様w >>927
お前(大久保おじさん)のせいでお前の大好きなネクラ大久保の人気がダダ下がりなんだがw
どうんすんのこれw 牢獄へと変わる電車・バス・車・・・
普段何気なく使っている交通手段でも、ひとたび腹痛に襲われれば逃げ場のない牢獄と化すのです。お腹が痛くなったら出す。
そんなシンプルなことができないなんて!
本能に従う大腸と文明の戦いです。そんな現代社会を生きる戦士達。もらしてしまった人もギリギリ間に合った人もいるなかで、無惨にも散った桂小五郎を知って元気を出しましょう。 キチガイが一人いるだけで問題ない
世間的には木戸大河の機運は盛り上がってきた
超過疎の5ちゃんではなかなかわからないが、Twitterを見てるとそう感じる どうも
スレ立てた人です
久々に来てみれば
伸びてますねえ
こりゃすぐ次スレか
何か>>1のテンプレをこうして欲しいなどの要望がありましたらよろしくお願いします >>9
>>748
やはり英語うんぬんは外したほうがいいですかね >>948
荒らし乙
大久保おじさんはいっつも大根演技やな 俺が>>940でたまたま今日始めてここを覗いたんだけど根拠なく他人と混同してる基地外は迷惑だな >>955
ならすまん!
大久保おじさんという木戸アンチは叩きレスの三分の二ぐらいを木戸讃にしてファンを擬態し、残りの三分の一で叩くというような手法の常習者なんでな
初めて来たなら知らないと思うが スクラ
ルブン
イヒまだ? 08/25 23時37壺 >>952
948だけど、大久保ファンの荒らしではないよ
ときどき桂小五郎と幾松の配役を書きに来てる
幾松…新川優愛みたいなレスしているのが私 なぜ木戸はソープ嬢と結婚したのか?がこのスレの論点だ。 陛下が「山上は国家の元勲なり、捨て置くべきにあらず」と特赦の勅令
同時に元勲優遇の詔(みことのり)を得て元老就任 読んでないけど
戦局のうえでずーっと有利で調子に乗って長州人を殺戮しまくってて最後のほうでちょこっと負けただけなのに「悲劇」なの?
そもそも長州は会津戦争に参加してないし
観光史学に毒されまくってるなあ
会津藩・松平容保の悲劇の始まり。長州藩との戦いと薩摩藩との対立
https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/71655 レス数が950を超えています。1000を超えると書き込みができなくなります。