時空の旅人として
 大河ドラマの登場人物は、ドラマが描く時代の人物であるよりも、まさに現代を生きている人間が時代の衣装を身につけているにすぎません。そのため視聴者は、登場人物に己を重ね、その人物の軌跡、心意に一喜一憂しながら明日を夢みています。これも一つの歴史を旅する作法、バーチャルな追体験の営みが可能となったのです。しかしこうした作法は、ある虚構、仮想空間に封じこめられた旅にすぎないだけに、歴史を己の眼で読み解いたものではありません。それだけにドラマの世界に秘匿されている闇を撃つには、ドラマが問いかける時代を、時空の旅人として自在に切り裂かねばなりません。そこで旅する作法の一端を略記しておきます。
「二つの祖国」(著:山崎豊子) 現代が素材となった1984年の「山河燃ゆ」は、太平洋戦争の時代を生きた日系アメリカ人二世を主人公に、戦争の時代、愛国心とは何かを問いかけています。この1984年は、中曽根内閣の下で日米同盟強化が目指され、国家ナショナリズムが強調されていく時代です。この100年前1884年は松方財政により各地で借金党、困民党による農民反乱が起こるなか、華族令が公布されるなど大日本帝国のかたちが見えてきた年、90年前の1894年日清戦争、80年前1904年日露戦争と10年ごとの戦争で日本は大陸国家への道を直走ります。こうした遊び心でドラマが提示した世界を旅し、歴史の闇、歴史として語られている世界が封印してきた闇を切り裂いてみてはどうでしょうか。
 2009年、始まったばかりの「天地人」は、100年前の1909年が伊藤博文が暗殺され、韓国併合(1910年)となり、50年前1959年が皇太子結婚、美智子妃誕生、その10年後1969年が東大安田講堂を巡る攻防、全共闘による学生反乱が終焉へ。ドラマが説こうとする「愛」なるキーワードは、空前の不況下で路頭をさまよう人びと、戦火と飢餓に脅かされている者の存在への問いかけでもありましょう。「愛」と「義」を辺境から天下をみつめた兼続の眼に託したのは、兼続の実像にかかわりなく、「改革」を大義に地方を疲弊させ、民を飢えさせている現状への告発があるのかもしれません。それだけに、このドラマがどう描かれるかを、「民飢え社稷亡び何故国家ぞ」との想いで視てはどうでしょうか。

 ドラマの作成者は、どれだけ己の手足で、時空の旅人としてあゆみ、歴史の闇にせまってくれるでしょうか。

大濱 徹也(おおはま・てつや)
 筑波大学名誉教授
https://www.nichibun-g.co.jp/data/web-magazine/manabito/archive/history/023.html