NHK BSプレミアム 5710
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>>95
もちろん京の都でも雷はある
その頃から苦手らしい 徳川も町娘の方が身体が丈夫って事で
大奥にスカウトしたくらいだからな >>97
精米した米飯ばっかり食べてたから
江戸庶民にも脚気は蔓延
当時は伝染病だと思われてたんだっけ >>84
あの本ポチろつと思ったら、直後に売切れてた。 >>110
そこ見逃したけど何の本に出てたんだっけ そういや煙草が薬だと思われてたのっていつ頃までなんやろ… >>120
小学生の頃、大江戸神仙録を見た自分にはジェネレーションギャップw >>96
しかも前田利家って当時の男性にしてはものすごく体格よかったんじゃなかったっけ
いとこ同士だし、きっとまつも成長早かったんだよ、うん
次の子は間があいたのもすごくラッキーだった、若いうちから連続して生むと死ぬ まさか、あんな目立たない「たばこと塩の博物館」がこんな所でw 千姫の妹の珠姫なんて14からほぼ毎年出産して8人生んだ >>130
戦国時代の方が肉食だったし体格も良かったみたいだね 葉室光子
明治5年(1872年)に典侍となる。宮中では緋桃と言われ、明治6年(1873年)9月18日に
第一皇子稚瑞照彦尊を出産する(お産の立ち合いには、明治天皇の命で楠本イネ
〈日本人女性で初めての産科医。フィリップ・フランツ・フォン・シーボルトの娘〉が担当した。)
が死産であり、光子もその4日後の9月22日に産後の経過不良により急逝した。享年21(満20歳)。
橋本 夏子
明治5年(1872年)に典侍となる。宮中では小桜と言われ、明治6年(1873年)11月13日に
第一皇女稚高依姫尊を出産するが死産であり、夏子もその翌日に産後の経過不良により急逝した。
享年18(満17歳)。
片方はギリギリ20代だったわ。しかし若い娘が2ヶ月連続で母子ともにすぐ死亡ってヤバス(´・ω・`)
双方とも死産な部分からは、相当な難産で長引きすぎて母子ともに耐えられなかったことが読み取れるな >>134
うん。JT
ttps://www.jti.co.jp/Culture/museum/index.html >>136
溥儀の皇后だか則室はアヘン中毒だったから
それに比べれば・・・ >>102
家康が経産婦を好んだのも同様の理由からだと言われてるな >>135
ありがとう
面白そうだよね。
江戸時代の人は庶民でも結構日記を残してるんだけど、公に刊行されてるのは少ないね。 >>132
隠れデートスポットで有名じゃなかった? >>147
皇后さんだね
ラストエンペラーでも観た >>130
前田利常の妻珠姫なんて
連続出産し過ぎて めっちゃ高貴なのに庶民的で好感がもてる皇后様だな
こりゃ美子会が出来るわけだ >>136
当時は頭をスッキリさせる薬みたいなもんだとしか思われてなかったからな
依存性などがわかってくるのは後の話(´・ω・`) >>129
それ、製薬会社の社員がタイムスリップして、脚気の薬を作る話?
ドラマを見た、遠い記憶が… >>139
それでいい加減身体が保たなそうだから、って姫のお付きが旦那が来るの邪魔してたら、姫は旦那に心変わりされたのかも…って絶望して弱って亡くなったんだっけ… >>163
あんまり相性良すぎてデキすぎても困るよな(´・ω・`) 羽生永世七冠とはいわんが、せめてひふみんにでも尋ねれば良いのに 皇族と将棋って取り合わせを初めて見た。
いや別に少しもおかしくないんだが。 アーネストサトウのやつは面白かったけどこれはそろそろ息切れだな >>171
簡潔に話できないから継ぎ接ぎだらけの編集になる予感 それぐらいかかってもいいだろう
髪も結わないといけないし >>163
子供ができないようなやり方で致せばよかったのに
誰も教えてくれなかったのだろうか
一人の女性としてはつまらない人生だったかもしれないけど
こういう生まれや立場なら、こういう生き方もアリだろう そもそも明治天皇自身が新聞マニアだったろw
ほぼ全紙とりよせて、入念に消毒されたクッサイのを毎日読みまくってたとか >>169
しかもそれが身体だけとかじゃなくアホみたいにラブラブ夫婦やもんなぁ…利常も最初に子供生まれたー!って聞いたら喜びのあまりマッハで国元に帰ったんだったか
幼なじみな愛妻の死で悲憤のあまりに利常さん、お付きを拷問してころころしたとかって本当かな…; ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています