1995年頃より、若いころの結核手術の際の輸血に際し罹患した肝炎により、1996年には入退院をくりかえす。1996年7月に帰宅した際、『文藝春秋』への連載が4月号より中断していた「漆の実のみのる国」結末部の6枚を執筆した。

1997年1月26日、肝不全のため国立国際医療センターで逝去した(69歳没)[20]。戒名は藤澤院周徳留信居士、墓所は都営八王子霊園。