連続テレビ小説「わろてんか」70
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
トーリ
ヒゲだけで老けメイクしたつもりかよ
つか隼也ってヘッポコモデル上がりじゃなかったのか?
子役まだ挟むのか >>390
じゃあさっきのが当時のラジオ体操の音楽なのかなぁ >>400
タイプライター室にいる人たちみたいな? >>391
ラスベガスの大物と再婚して帰ってくると予想 この母ちゃんからは真剣佑みたいな顔の息子でないと
波田陽区みたいな顔じゃ、母ちゃん整形って言われるぞ 笑点みたいなオオギリ形式って
笑点以前に劇場でやってたりしたん? あれだよ
落語家がお題に答えて座布団の枚数競い合えばいいんだよ 武井風太の実在モデルって誰?
わろてんか、実在の人物をモチーフにしてるそうですが、武井風太に関しては、実在モデルの特定が難しいだなんて言われてますが、その中でも有力視されてるのが、吉本興業株式会社の初代社長、林正之助(はやし・しょうのすけ)氏。
ヒロインモデル、吉本せい(旧姓、林)の10歳年下の実の弟です。林正之助さんは中学受験に失敗し、姉の白井きく(林きく)夫婦が経営する紀伊國屋に奉公に出て、モスリンを販売します。
※モスリンとは…木綿や羊毛などの梳毛糸を平織りにした薄地の織物の総称
奉公から帰ると次は、半強制的に吉本せい(林せい)夫婦に呼ばれ吉本興行部で働くことになり、役職は「総監督」となるも、実際は雑用ばかり。。。下足番からはじまり、自転車で小屋を回っては従業員を叱り、
集金に出向いたり、ヤクザとの交渉をさせられたり (;”∀”)そんな雑用一点張りの仕事をする一方で、多彩な才能も発揮します。舞台下からライトアップ出演を考案や他社事業を乗っ取ったり。。。
吉本せい・林正之助
林正之助の活躍で吉本興業は勢力を拡大し、ライバルを合併させ、大阪の地に吉本王国を築いていったのです。吉本せいの夫が死去すると、吉本興業の運営は妻せいに任されます。
しかしその運営をせいは正之助に任せ、芸人たちを叱咤するのは正之助。それをフォローしてお金を渡すのはせい。正之助は嫌な役に徹するのでした。
時代の変化からか、落語に変わる演芸として漫才の発掘にも精力し、エンタツ・アチャコやミスワカナをスカウトしたり、入場料10銭の漫才を普及させたり。また阪急グループの創業者、林一三さんに招かれ、
東京宝塚劇場(東宝)の取締役に就任したため、東宝と松竹の対立に巻き込まれてしまいます。松竹からの攻勢。莫大な資金で芸人を引き抜かれるも、被害を最小限にとどめるも、大阪大空襲で寄席すべてを失います… それは現代でも変わりませんね>落語家の客は年寄りだらけ 1929(昭和4)年初冬
68歳 嘉納伝助(石炭王)←伊藤伝右衛門1861/1/6 - 1947/12/15
50歳 鴨井欣治郎(マッサン)←鳥井信治郎1879/1/30 - 1962/2/20
44歳 葉山蓮子(花子とアン)←柳原白蓮1885/10/15 - 1967/2/22
43歳 平塚らいてう(あさが来た・とと姉ちゃん)1886/2/10 - 1971/5/24
36歳 北村てん(わろてんか)1893年生まれ設定?←吉本せい1889/12/5 - 1950/3/14
36歳 村岡はな(花子とアン)←村岡花子1893/6/21 - 1968/10/25
35歳 亀山政春(マッサン)←竹鶴政孝1894/6/20 - 1979/8/29
33歳 亀山エリー(マッサン)←竹鶴リタ1896/12/14 - 1961/1/17
24歳 西門め以子(ごちそうさん)1945(昭和20)年春頃40歳設定
16歳 小原糸子(カーネーション)←小篠綾子1913/6/15 - 2006/3/26
09歳 小橋常子(とと姉ちゃん)←大橋鎭子1920/3/10 - 2013/3/23
08歳 有森桜子(純情きらり)1928(昭和3)年に7歳設定
07歳 須藤陽子(おひさま)1932(昭和7年)9月に10歳設定
04歳 坂東すみれ(べっぴんさん)1925年生←坂野惇子1918/4/11 - 2005/9/24
00歳 下村梅子(梅ちゃん先生)1929/5/5生 >>405
BG
Bビジネス
Gガール
商売女みたいと
捏造週刊誌が名前募集 問題が解けないときは裏にラーメンの作り方をイチから書けば35点ぐらいはもらえる 漫才ばかりでも、客は飽きるで
途中でマジック挟んで、空気を換えるんや 脚本家が何考えてるか最初から分かりません
ずっと頭が痛いです ムスコが母親より年上って
ネットニュースになってたような・・・
駿也 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています