多賀城市は、仙台市のベッドタウンであり、大きな幹線道路2本に沿って郊外型の大型店が建ち並んでいた。海に面しているのは東部の砂押川河口のごく一部であり、市民ですら海の街という認識は薄く、
幹線道路を通過する市外の者はさらに認識が薄かった。地震の混乱で道路が大渋滞しているところ、建物の間から突然津波が襲来した。犠牲者は2本の幹線道路の車内を中心に200人弱であり、その半数は市外に住む人であった。

仙台市は104.7万人(2011年3月1日推計人口)[155] を擁する政令指定都市であったが、沿岸部の仙台平野の大部分が開発が制限される市街化調整区域であり、田園地帯が広がっていた[156] ため、
人口密集地への浸水はほぼなかった。しかし、沿岸部にあった主な集落である若林区荒浜地区や宮城野区中野蒲生地区が壊滅し、また仙台港一帯の工業地域や商業地域を中心に、犠牲者数は800人以上となった。
若林区では区域の60%が浸水し、田園地帯を3 - 4km内陸まで浸水する様子がNHKのヘリコプターからも撮影され、大きく報道された。荒浜にある仙台市消防ヘリポートも被害を受け、津波到達前に離陸した2機の
ヘリコプター以外の機材が使用不可能になる被害を受けたため、内陸部への移転が計画されている。

名取市では市域の27%が浸水した。中心市街地は内陸部にあったが、沿岸部にあった閖上地区が壊滅的被害を受けるなど、1,000人弱が犠牲となった。閖上大橋で、地震の揺れによる大型トラックの荷崩れが発生し、
対向車線の乗用車運転手が死亡する事故が発生した事により通行止めとなり、地区内で渋滞が発生し、犠牲者を増やす要因ともなった。仙台空港の滑走路が冠水する様子は、国内外で大きく報道された。