元和5年(1619)7月、徳川秀忠(西田敏行)は諸大名を従えて宮中に参内。天子の弟・近衛信尋は
藤堂高虎(田村亮)と和姫入内(じゅだい)の密談をする。一方、秀忠は京都所司代に命じ不良公家
の処罰をおし進め朝廷へ圧力をかける。元和6年2月、朝廷内で和姫の入内に強く異を唱えていた
後陽成天皇の母・新上東門院が崩御。流れが幕府に傾いた。6月18日、和姫はその名を和(まさ)
子と改め、後水尾天皇の女御となった。