大仏開眼(後編)★1
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聖武天皇(國村隼)は大仏造立への思いを募らせるが、吉備真備(吉岡秀隆)は国の疲弊を理由に反対する。一方、律令国家の復権をもくろむ藤原仲麻呂(高橋克典)は、光明皇后(浅野温子)に取り入って絶大な権力を握り、真備を唐に追放する。平城京では、孝謙天皇(石原さとみ)が即位し、9年の歳月をかけて造られた大仏の開眼法要が行われる。翌年、真備は唐から奇跡の生還を果たす。764年、仲麻呂追討の火の手が上がる。 >>440
重ね着してた
だから十二単って12枚も服重ね着してたんだぜ 「出ておジャレ、竹書房。隠れていても臭いで判るでおじゃる」
な展開かと思ったら、自分から出てきた >>428
もう、迷いはなしさ(743)大仏造ろう >>403
長屋王の伝説が21世紀になっても更新中とは(´・ω・`) >>446
ちょっと前から日本刀の原型みたいのはあったらしい
唐刀だと蝦夷の曲刀に折られまくったんで
こちらもカーブをつけて折れにくくしようと >>441
まあその長男があの平城天皇だからどっちにしろ詰んでる >>467
柳生の首ぃ
ひとついたたきまひょー
の人が九州で叛乱中 >>440
東北じゃ麻を重ねて刺し子してたんじゃ? 池端ドラマの永遠のテーマやね
何かを信じたい
信じたけど裏切られる
でもその過程がドラマ、っていう >>444
視聴者にとって馴染みにくい奈良時代の「身内内権力闘争」は
訳分からないから、手っ取り早く
真備と愉快な仲間たちVS藤原仲麻呂 にしたのかもしれない >>491
そういや大沢さんのアテルイ伝
CSで放映するみたいね >>478
マジレスしちゃったけど4192って未来かよw >>488
それは江戸時代以後だな
ひたすら麻を重ねて着てたから寒い
それ以外の植物布もあるにはあったが
そもそも布というのが現代よりもずっとずっと貴重品だった 吉岡秀隆って表情に乏しい、どんなシーンもしょぼくれた顔でぼそぼそ喋るだけだから
メリハリなくてつまらんな 現代で見ても圧倒されるからなぁ、当時は如何程だったのか… 安積親王陵墓
京都府相楽郡和束町に現存する古墳である。俗称:太鼓山古墳。
明治11年(1878年)に安積親王の墓に認定された。 >>495
歴史の教科書なんて世代によって書いてある内容変わるよな
俺が小学生だった頃は士農工商は身分制度で縄文時代の後に弥生時代が来て、恐竜はゴジラスタイルで歩いていたわわ 初期バージョンの顔の表面は今と違ってボコボコだったらしいじゃないか >>502
租庸調だっけ
布が米や労役と同じ租税品だった できた瞬間天井から雷が落ち
全員が互いに話している言葉がわからなくなって
しまう >>480
まさに(´・ω・`)
せめて嵯峨天皇妃だったなら嵯峨源氏として細々と子孫が続いたかもと思うけどね ちなみに当時は今のようなのこぎりがまだない
板を作るのが大変だったから貴重 >>470
まあ、コロナ禍の前から既に空いてたという話も聞く>ミ・ナーラ
あそこ、商業施設としては、住民に取っては決して立地が良い場所とは言えないと思うんだよね >>512
TAROの塔を再放送してほしい
あれかなり名作なのに >>520
鎌倉室町ころになって
2人係りで轢く鋸の職人絵がでてくる ナレとかイマシとか呼び方が変わるのは地位とか関係あるんかいな 近所に東京大仏があるけど君島一郎の長男にそっくりで笑ってしまった 実際は金を水銀で溶かして塗って火で乾かすから周りが水銀蒸気でえらいことになったみたいだな >>532
失われた奈良期の大仏をみたことがあるのか >>532
顔ver1は地震かなんかで頭がちぎれて落ちてなくなったのでどんな顔だったかわかってない >>508
トリケラがサイみたいな突進突きできなかった事も判明した
どんどん夢が壊されていく… >>508
ゴジラ→ジュラシックパーク スタイルも、もう2〜30年経てばなにか別の形にガラッと変わる気がする
どうしてもあの頭と尻尾がピント一直線は不自然だ
たぶん、鳥、とくにニワトリとかダチョウとかあっち系に変わると思う ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています