太平記(29)「大塔宮逮捕」
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護良親王(堤大二郎)は尊氏の台頭を恐れ、戦を仕掛けようと画策する。この動きを察知した尊氏(真田広之)は「都を戦火から守りたい」と各地の武家に声をかけ、六波羅に軍勢を集め始めた。これに呼応したのは楠木正成(武田鉄矢)をはじめとするそうそうたる武家であった。新田義貞(根津甚八)の足利への反論も正成の巧みな説得で抑えられ、尊氏の優勢は揺るぎないものとなった。護良親王は帝に初雪の宴に招かれ…
【出演】真田広之,根津甚八,陣内孝則,堤大二郎,石原良純,赤井英和,瀬川哲也,でんでん,大林丈史,ドン貫太郎,藤真利子,柄本明,小松方正,山内明,武田鉄矢,原田美枝子,片岡仁左衛門
【原作】吉川英治,【脚本】池端俊策
【音楽】三枝成彰 >>582
官房長官は政府の(ほぼ)No.2。幹事長は自民党でのNo.2 >>584
そいつらは日本史でも有数の権力闘争やってきたやつらじゃん 日本の場合No. 1の天皇がお飾りであることが前提でNo.2歳強体制になる
だが、そのNo.2も年月を経つとお飾りになり、そして動乱が起きる
No.2の体制を維持したいものが大抵負けるな
慶喜が生き残ったのは例外みたいなもの >>566
この1334時点では新田クラスの親戚というのも不明だ(分家はまだそんなに強くはないはず)
足利一門の多くは南北朝以後に台頭した
畠山はそこそこではあったかも 徳川慶喜はもともと十六代目までの繋ぎ。
家茂はあくまで養子のほうを後継指名していたからね。
だからさっさと辞めて贅沢な隠居暮らししていた。同じ静岡にいた旧幕臣は苦労していたから、かなり恨まれた。 >>593
この太平記初期の
No.1 天皇 No.2将軍 No.3執権 までお飾りで
ずっと下の長崎円喜が実権握ってたっておもろかったな 名乗っていた限りでは東北の北畠の末裔がいる(浪岡北畠氏)
どうにも顕家か弟の顕信の子孫かハッキリしないが戦国時代に津軽藩に滅ぼされた
しかし末裔を名乗る方々が東北各地にいる >>596
権力握ってるのが陪臣どころか陪々臣だと天皇からすると
わけわからん奴に六波羅から狙われてるってことになるな >>593
>>596
キリンの斎藤機長が織田家の実験を握ってる(by判官)のはちっとも面白くないけどねえ
他国から嫁いできた人が夫の家を支配できるとは
さすLGBT・女系天皇断固支持の犬HKか >>602
エカテリーナ2世
嫁入り先を乗っ取るなんて
おそろしい >>600
ところが北条の御内人はそこそこの官位をもらって朝廷に仕えている人でもあったのだ
平頼綱は平左衛門が愛称だったように左衛門尉の官位をもらってた
左衛門尉がどのぐらい偉いかというと和田義盛や比企能員の位なので御家人としては非常に高いことになる
鎌倉時代の新田義貞は無官と言われるし無位無官の御家人が多かった
本来どの御家人よりも地位が低くあるべき御内人のほうが偉くなってたという「ねじれ現象」 >>567
北條を追い払っても、帝が戻るまでの統治の仕事は必要だし、美酒に酔いしれる
余裕はなし。 >>569
所沢、東村山、小平、国分寺、府中の一帯は、幕府滅亡前後の古戦場や、
それに絡んだ史跡多し。 >>603
他家の人が養子や嫁に入った先の家を乗っ取るのは容易ではない
むしろ養子は立場が弱かったりしたことも多い
エカテリーナの権力の源泉は皇太子の母たるにあった
神功皇后も夫の没後何十年も権力を握ったというが出身氏族の故かも知れない(まあ実在すりゃね)
昔の女の権力者は息子を権力の源泉にしてたことが多いようだね
でも実際そんなに外戚が権力を握れたとも思えない
藤原道長なんかちょっと極端に語られてきたように思う >>580
そして、明治時代の廃仏毀釈の流れで鎌倉宮(大塔宮)ができた。 >>581
徳川将軍家は、幕末の段階で紀州の血筋が途絶えたので、家定→家茂のときも
後継候補だった水戸の慶喜が据えられたという事情。
足利十五代の義昭も、平時であれば仏門で一生を終えた人物。 >>599
英国でいうところの、君臨すれども統治せず。 史実としては後醍醐のように権力を行使してた天皇が多いので(いや、この言い方自体が変なのかも知れない)
よく言われる「権威と権力の分離」「外戚政治」は背後にプロパガンダを包含してると見るほうがいいんだろうね >>610
血統的にはそうだが、10歳で相続した水戸より格上の御三卿一橋家の当主としての後継候補 >>617
翌年の信長と翌々年の細川勝元が切りあってた ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています