>>514
縄文時代の朝鮮半島には倭人が住んでいたと言われている
しかし白頭山の噴火で一度絶滅した
その後再び、日本列島から倭人が移り住んだ(主に半島南部)
一方、支那で戦渦などがあると、流民が発生し、朝鮮半島北部に流れてきた
これは1時代ではなく、繰り返しいろんな民族がやってきた
だから朝鮮半島南部は倭人、北部は雑多な支那移民が住んでいた
高句麗という北東アジアの大国が南下してきて半島北部を支配
百済は扶余族が王族、民衆は雑多な移民の集落(百済とは100の集落という意味)
新羅は倭人が建国、そして任那日本府という大和朝廷の直轄地もあった
唐が軍事大国になると高句麗を滅ぼし、さらに百済(日本の植民地)を滅ぼした
高句麗の王族は故郷に帰ったが、百済の王族は日本に亡命した