近年、徳川綱吉は犬公方のバカ殿ではなく本当は名君だったと教科書でも再評価されている。

戦国の世が終わった江戸時代、戦いの場をなくした武士たちはたむろし、「切り捨て御免」と人を切り、犬を切って食べたりという行為が横行するようになっていた。
人々は命を軽視し、暴力で物事を解決するという傾向が当時の江戸の町には行き渡り、それらが目に余るような状況だった。
また当時の社会は、犬を飼っても簡単に捨てる人も多く野犬が増えて人々が襲われることもあった。

そのような風潮を見かねた綱吉は、銃などの武器を登録制にし、国家として暴力に対して徹底的な管理をし、命を軽く扱う社会を変えて平和に共存する社会を作ろうと試みた、それが「生類憐みの令」だった。