>>431
「掛け算の九九・十六文価格説」と「粉の配合割合説」
があるんだけど、実は二八そばって言われた頃のそばは六文とか八文で
一六文だったのは江戸後期の7,80年くらいだけらしい
粉の配合割合はそんなに細かく計量していたわけもないので、これも後付と言われてる

ということで、もう語源がわからないくらいに前からあると(´・ω・`)