[再]歴史秘話ヒストリア「ヤング家康 徳川四天王との絆〜若殿を支えた三河武士団」©2ch.net
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江戸幕府をひらいた戦国ラスボス・徳川家康は、意外と若い頃は無テッポーで失敗だらけ。
そんな若者を陰で支えたのが「徳川四天王」!天下人・家康、その始まりの物語。 また戦国の話してる(´・ω・`) あ、戦国の話しか 四天王のクセに戊辰戦争で裏切った家があります
どこでしょう 酒井忠次 庄内藩
井伊直政 彦根藩
榊原康政 ?
本多忠勝 ? 大活躍しすぎちゃったから遠回しに信長に長男が切腹させられた説 最近の説じゃ信長は許可しただけで長男殺したのは家康の意思なんじゃないの? >>11
本多
上総大多喜→伊勢桑名→播磨姫路→大和郡山→陸奥福島→播磨姫路→越後村上→三河刈谷
→下総古河→石見浜田→三河岡崎
榊原
上野館林→陸奥白河→播磨姫路→越後村上→播磨姫路→越後高田 >>34
苦難ばかりの中で団結力を維持できるのって凄くない? 久三郎おおおおおおお! 吉信・・・すまぬ、すまぬ
事件だな 利家とまつ
だと、利家の弟の竹野内豊が討ち死にしたな
こういう作文と制作したクソ局員を
斬首しとけ。
アホか。
なんかかっこよく描いてるけど
家康がへっぽこなだけやろ おまえら、三方ヶ原の戦いで家康がウンコ漏らしたって話、司馬遼太郎の作り話だからな(´・ω・`) 徳川家康とにかく死にたい病
・今川家での人質生活は辛いから死にたい ※お供の石川数正らを困らせる
・三方ヶ原で武田信玄にフルボッコされたので死にたい ※駄々こねる主君を叱り飛ばしたあと家臣が身代わりに
・義兄(信長)が明智に殺されたので一緒に死にたい ※本多忠勝と服部半蔵らが主君を諭して血路を開いた
・真田信繁(幸村)が本陣近くまで迫ってきた!やばい!死にたい ※親衛隊が泣ける主君に代わり決死の盾となって防いだ >>64
昌幸が家康に強かった要素にあの弱い徳川って
このときの印象が後々まで残ったからだとか 井伊加入遅すぎ。3人は四天王と認めたくなかっただろう 人質生活から天下取りまで付き合ったら感慨深いわなぁ 島流しは別にして
天皇に楯突いた歴史人物って平将門だけ? >>74
弟たちはともかく
???<ジジイと余所者が将軍だと!
ふざけるな! 酒井忠次のよく語られるエピソードが信康自刃事件です。
織田信長から家康の嫡子・松平信康が武田家に内通しているという疑いをかけられた際、忠次が大久保忠世と共に弁解の使者に赴きます。
信長と面会しますが、一切の弁明をしなかったため、信康が切腹することになりました。この事件により家康との間に亀裂が入ったといわれています。
家康が関東に移封された時、嫡男家次が与えられた臼井三万石は、当時、徳川四天王の他の三人が十万石規模であったことに比べて小禄でした。
これに忠次が抗議した際、「お前も我が子が可愛いか」と信康事件の事をひきあいに出したという逸話が残っています。 館林や白河、会津に身内や有能なのを置いたのも伊達政宗を意識したのかな >>88
取手辺りだとかなり東京に近いんじゃないか 庄内藩って戊辰戦争で官軍を苦戦に追い込んだ藩だっけ? ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています