http://nhk2.2ch.net/test/read.cgi/livenhk/1497695176/186

>1975年、クメール・ルージュの猛攻でカンボジアの首都プノンペンが陥落。これにより軍部の政権は崩壊し、シアヌークを国家元首としポル・ポトが背後で操る共産主義政権、民主カンプチアが発足した。
>その日のうちに虐殺が始まり、プノンペンの多数の市民が犠牲になる。ポル・ポトは農民以外の人間を不要と考えており、都市に居住する住民というだけで虐殺の対象であった。数日後には虐殺はカンボジア全土に広まった。
>1975年4月19日、朝日新聞の和田前プノンペン特派員が数日前からのプノンペン陥落について報じ、「武力解放の割には、流血の跡がほとんどみられなかった」「身の安全のために、早く逃げろ」と繰り返し忠告した」と報じた。
>さらにそのことについて、「敵を遇するうえで、きわめてアジア的な優しさにあふれているように見える」と評した。その後も同記者は、クメール・ルージュによる虐殺を報じる他国メディアの記事を否定するような報道を行っていた。

和田「アジア的な優しさ(キリッ」


デマとか抜かしたバカ左翼死ねよ!