土曜ドラマスペシャル「1942年のプレイボール」★2
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>>29
バスケもアメフトもやっていたんだぞ
もっともアメフトは、鎧玉という、ある意味絶妙な訳語に帰られたらしいけど うちのじいさんは
身長が低すぎて丙種合格で
徴兵されなかった すごいなー、兄貴たちも見習えよ、やきうとか言ってる場合じゃないんやで >>85
うちのもうひとりのおじいちゃん
子供の頃に片目失明してたから、検査落ちて戦地に行かなかった
現役のアイスホッケー選手でそこらの一般人より屈強だったのに
本人はそうとう悔しかったらしい ( ;´・ω・`)お金かかってないね、宣伝の割りに >>126
凄い投手だったこと以外知らないけど可哀想だわ >>51
大和球士の小説じゃ名人て
言われるほどのプレーヤーだよ 支那戦線はまだいいけど南方行ったら帰ってこれないわな(´・ω・`) この後、捕虜でつかまって脱走して
オートバイで逃げようとするが連れ戻されて、
独房で硬球を壁にぶつけているんだろう。 >>74
株取引は終戦間際までやってた。インベスターZの受け売り。 小六の時、町内の少年ソフトボールで毎年大会があり会場までトラックの荷台に乗っていった記憶がある、ユニホーム何てないしたぶんジーパンやった
昭和49年大阪の摂津市の
話ですわ >>121
長男が帰ってこなかったら(帰ってきたけど)
次男が家の跡取り息子になるから
三男が兵隊に… >>123 くつな なんだな こつなだと思ってた
忽那 汐里は日本の女優。オーストラリアニューサウスウェールズ州シドニーキラニーハイツ出身の日系オーストラリア人三世。 >>161
よくわからんけどなんか説明してた(´・ω・`)みんなやってるって >>126
出征前に成績不振で巨人をクビになってるらしい 一番最初に沖縄人、捕虜1号を殺害したのは、米軍じゃなく日本軍
米軍が一番最初に上陸した沖縄の島では、日本軍は勝ち目ないと山に逃げた
上陸した米軍は、足に障害があり動けず逃げられなかった夫婦を見つけ、なんてかわいそうなんだ、これだけ食料があれば生き残れるだろうとたくさん食料を置いていった
小島を占領しても価値ないから米軍はとっとと去った
山から戻ってきた日本兵は、なんだテメー、俺達が食料難なのにこんなに持ってやがって、さてはお前米軍のスパイだな、処理しろ、ズキュン ・1943年25勝をあげて応召。戦後の1946年に阪急に復帰。
・1943年のシーズン中に従軍し、満州へ渡る。1945年にフィリピンで戦死した。 >>123
現代ドラマだと地味すぎるからキャラ変か >>151
間違っていたものを認められないのは病気だわな
過去の反省から今、未来どうあるべきかを考えるべきで
そのあべるき姿には各々主張や議論はあるだろうが
間違っていたことを無かったことするのはダメだ >>46
第一次大戦の時はクリスマスの時は現場レベルで休戦して敵味方分かれてサッカーしてたことがあったとか。 >>74
玉音放送を聴いた後
川上哲治は素振りを再開した 爺さんや婆さんに聞いた話では
戦時中は生きて帰って来いなんて言える空気じゃなかったと ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています