【昭和20年2月(無差別空襲開始)】
昭和20年2月14日に近衛文麿は敗戦を確信して天皇に上奏文を出し、敗北による早期終結を決断するように求めたが天皇は「もう一度敵をたたき、日本に有利な条件を作ってから」の方がよいと判断、これを拒否したという。
■田村謙(松山大学教授)“近衛文麿の上奏文” 外務省編『日本外交年表竝主要文書』下
【昭和20年8月(原爆投下後・一億玉砕準備中)】
朝香宮鳩彦王「国体(天皇制)が護持できなければ戦争を継続するのか」
昭和天皇「勿論だ」
■昭和天皇『昭和天皇独白録』文春文庫
【昭和天皇が語る終戦の理由】
「敵が伊勢湾附近に上陸すれば、伊勢熱田両神宮は直ちに敵の制圧下に入り、神器の移動の余裕はなく、その確保の見込が立たない、これでは国体護持は難しい、故にこの際、私の一身は犠牲にしても講和せねばならぬと思つた」
■昭和天皇『昭和天皇独白録』文春文庫